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第三章 複数の変数を持つ関数の偏微分

§1. 偏微分

 f(x)のように、関数が持つ変数が一個の場合には、その導関数の計算に特別面倒なことはない。しかし物理にはしばしば二個以上の変数を持つ関数が出てくる。特に「熱力学」や「統計力学」ではそれが重要な役目を果たす。微分係数は関数が持つある変数が変化した時に関数が変化する割合を与える量であるが、関数が複数の変数を持つときには変数の変化のさせ方に二通りの方法があり、それにともなって生じる関数の変化も一般には異なる。一つは、一個の変数だけが変わり他の変数が変わらないときに生じる関数の変化であり、もう一つは、いくつかの変数が同時に変わったときに生じる関数の変化である。いずれの場合にも、どの変数が変化し、そのときに他の変数がどのようになっているかが明確に指定されなければいけない。「偏微分」と後に説明する「全微分」はこのような状況を明確にして行う数学操作である。まず「偏微分」から説明する。
 二つの変数xy を与えることによって決まる関数f(x, y)の値をzとする。すなわち

<3-1> (3.1.1) z=f(x, y)

一変数の場合と同じように、xyは独立変数、z は従属変数である。
 たとえば高校の物理で学ぶ理想気体の状態方程式

<3-2> (3.1.2) P=nRTV

はその一つの例である。この式中、Pは気体の圧力、 Vは気体の体積、T は気体の温度を表し、これらは状況によって値が変わる変数である。また、n は気体のモル数を表す定数であり、Rは気体定数である。(3.1.2)式は 3個の変数( P,V,T)の間に一つの関係を与えてあるので、 (P,V,T) はすべてが独立ではなく、どれか2個が決まると他の 1個が決まる。したがって、独立変数は (P,V,T) のうち、どれか2個であり他の 1個は従属変数である。(3.1.2)式では VTが独立変数でPが従属変数のように書いてあるが、どれを独立変数とし、どれを従属変数とするかは自由である。一般に状態方程式の場合は、測定に際して制御しやすい(自由に変えやすい)変数を 2つ選んで独立変数とし、状態方程式を使って決まる残りの変数を従属変数と考えるのが普通である[1]。
 (3.1.1)式の関数f(x,y)にもどり、今どちらか一つの変数、たとえばy を変えず一定に保ったままxをわずかな量 hだけ変化させてx +hとし、そのときのfの変化の割合 f(x+ h,y)-f(x,y)h h0とした限りなく (x,y)に近い点で考える。微分で行なったように、その操作を行った量を

<3-3> (3.1.3) limh0 f(x+h,y)- f(x,y)h fx

と書き、これを関数f(x,y)xに関する「偏微分係数」と呼ぶ。 変化させる変数以外の変数(今の場合はy )は一定に保っておくことをしっかりと理解せよ。同様に、yに関する偏微分も、xを一定に保ったまま yだけを変化させて

<3-4> (3.1.4) limh0 f(x,y+h)-f( x,y)hf y

によって与えられる。
 偏微分係数を書く時、一定に保ったままにしておく変数を明確にするために、 f(x,y) xyというように、固定した変数を添え字で明示することがしばしばある(特に熱力学で)。これは、物理学では「何を変化させるか、何を一定にするか」が実験を行う際の制御と密接に関係しているからである(脚注[1]参照)。また偏微分係数がたくさん現れる場合、複雑な偏微分係数の表式を使わずに、たとえば f( x,y)xy を簡単にfxと書くこともある。これは「関数 fが持つx以外の変数を変えず、xだけを変えて一回微分する」ことを意味する。
 偏微分係数でも二階の微分が必要になる場合がある。変数が一つの場合には問題はなかったが、変数が二つ以上ある場合は二回目の微分が必ずしも一回目の微分と同じ変数による微分とは限らない。たとえば二つの変数を持つ関数f (x,y)の場合、一回目の微分が xについて行われたとき、二回目の微分がxについてと、 yについての二つの場合がある。二回目の微分が xの場合には、それを

<3-5> (3.1.5)  xf (x,y)x= 2f(x,y) x2 = fxx(x,y)

と書き、二回目の微分がyの場合には

<3-6> (3.1.6)  yf (x,y)x =2f(x,y )yx = fxy(x,y)

と書くのが普通の書き方である。
 例を一つ挙げよう。

<3-7> (3.1.7) f(x,y) =x2y+xy2+ y3

に対して、一階微分による二つの導関数fx, fyおよび二階微分による四つの導関数 fxx,fxy,fyx, fyyを計算する。結果は

<3-8> (3.1.8)  fx=2xy+y2 fy=x2+2xy +3y2

fxx=2y fxy=2x+2y fyx=2x+2y fyy=2x+6y

である。二つの二階微分係数、fxyfyxが等しいことに気がつくと思うが、これは偶然ではない。関数が複数の変数に依存し、かつ特殊な状況がなければ、微分を行なう変数の順番を入れ替えた高次の導関数は等しい。これはその場合である。物理学で学ぶ多くの場合はこの関係が成立すると思っていてよい。もし例外があればそのつど指摘されるであろう。なぜならそのときには物理的に意味のあることが起きていると考えられるからである。
 第二章で、一個の変数を持つ関数の「全微分((2.1.2)式)」が持つ意味を知った。複数の変数を持つ関数にも「全微分」が存在し、それは一変数の場合よりも重要な意味を持つ。そのことを二つの変数xyを持つ関数f (x,y)を使って説明する。一変数関数の場合と同じように、この場合の全微分も xyがそれぞれ僅かな量(Δx Δy)だけ変わった時のf(x, y)の差分

<3-9> (3.1.9) Δf(x,y )=f(x+Δx,y+Δ y)-f(x,y)

を使って与えられる。これを

<3-10>  Δf(x,y) = f(x+Δx,y+Δy) -f(x,y+Δy) +f(x,y+Δy) -f(x,y) = f(x+Δx,y+Δy )-f(x,y+Δy) ΔxΔx + f(x,y+Δ y)-f(x,y)Δy Δy

と等しい式に書き換えて、それからΔxΔyを十分に小さくする。右辺第一項目に含まれる Δyを先に0として考えれば、この量が最後には

<3-11>  Δf(x,y) f(x+Δx,y)-f( x,y)ΔxΔ x +f(x,y+ Δy)-f(x,y)Δ yΔy f(x,y)x Δx+f(x,y) yΔy = fx(x,y)Δx+f y(x,y)Δy

に等しくなるのを示すことができる。ΔxΔyが十分に小さいことを表すためにそれらを dxdyと書き、そのときの上式右辺で与えられる左辺を改めてdf(x, y)と書いた式(第二章の(2.1.2)式参照)

<3-12> (3.1.10) df(x,y) =f(x,y)x dx+f(x,y) ydy

を二変数関数f(x,y)の「全微分」という。これが1変数の(2.1.2)式に対応する式である。逆に、(3.1.10)式を見れば、関数fの独立変数が xyであることが分かる。すなわち

【全微分と独立変数】
 独立変数がなんであるか分からない関数fに対し、それが含む変数を全て僅かに変化させて関数の変化を調べたとき、fの変化が最終的に(3.1.10)式のように書けたとしたら、それはfの独立変数が xyであることを意味している。

 複数の変数を持つ関数の全微分に関連した重要な定理があるので、それを2変数の場合に与える。

【定理】x yの関数P(x,y) およびQ(x,y)があり、それらのxyに関する微分係数が存在するとする。このとき、もしPQの間に

<3-13> (3.1.11)  P(x,y)y =Q(x,y) xすなわち Py(x,y)= Qx(x,y)

の関係があれば、P Q

<3-14> (3.1.12)  f(x,y) x=P(x,y) f(x,y)y =Q(x,y)

によって与える関数f(x,y)が存在し、fの全微分を

<3-15> (3.1.13)  df(x,y)=P(x,y) dx+Q(x,y)dy

と書くことができる。

【証明】 もし関数f(x,y) があり、その全微分が(3.1.13)式で与えられたとする。このとき(3.1.12)式が成り立つので、その第一の式を yで微分したものと、第二の式を xで微分したものはともに 2fxy =2fyx を与えるので等しい。すなわち、

<3-16>  Py= yf x= 2fyx = xfy = Qx

であるので(3.1.11)式を与える。反対に、xyの関数f (x,y)があるとき、その全微分を(3.1.13)式のように書いたとすると、右辺の P(x,y)Q(x,y)はそれぞれ(3.1.12)式の左辺で与えられる。したがってP y微分とQ x微分はともに2 fxy=2 fyxを与えるので等しく、ゆえに(3.1.11)式が成り立つ。

 この定理は多少抽象的であるが、次の応用例でそれがどのように使われるかを理解してほしい。

【応用例】 x yがわずかな量dxdyだけ変化したとき、それとともに

<3-17> (a) (3x2+2xy-2y 2)dx+(x2-4xy )dy

のように変化する量があったとする。この量を全微分とする関数f( x,y)は存在するか[2]?もし存在するとすれば、それはどのような関数か?

【解】 (a)式の dxdyの係数をそれぞれP(x,y)=3 x2+2xy-2y2および Q(x,y)= x2-4xyとすると、

<3-18>  Py =2x-4y Qx =2x-4y ゆえに Py =Qx

であるから、定理によりP(x,y) dx+Q(x,y)dyを全微分とする関数 f(x,y)が存在する。すなわち、

<3-19> df(x,y)= P(x,y)dx+Q(x, y)dy

である。よって(3.1.10)式よりf(x,y )

<3-20>  fx= P(x,y) = 3x2+2xy-2y2 fy= Q(x,y) = x2-4xy

を満足する。これはfに対する連立偏微分方程式であるが、その解法をていねいに説明することはここでの意図と関係ない。したがって途中を省略して上の微分方程式の解を与えるだけにする。その解は

<3-21> f(x,y) =x3+x2y-2x y2+C

である。ここでCは定数であれば何でもよい。この式を xyで微分して、それが上の式を満足していることを確かめてほしい。従って結論は、「xyの微小変化とともに (a)式にしたがって変化する量が全微分である関数は上に求めた f(x,y)である。」


 しばしば二つの関数の積に対する全微分が必要になる時がある。(3.1.9)式から(3.1.10)式にいたる議論を繰り返せば簡単に結論が得られるので、その結果を与えておく。

【関数の積の全微分】 xを変数に持つ関数 f(x)g(x)の積 f(x)g(x) の全微分は

<3-22> (3.1.14)  d[f(x)g(x )]=g(x)df(x )+f(x)dg(x ) = gdfdx+f dgdxdx

で与えられる。最後の式を得る時にfgの全微分がそれぞれ、 df=dfdxdxおよび dg=dgdxdxであることを用いた。

 物理で最も多く現れる全微分の種類に「§2. 導関数(微分係数)」で扱った「合成関数」の全微分がある。その説明のために、合成関数の意味をもう一度説明しておく。いまtを変数に持つ関数 x(t)がある。さらにその xを変数とする関数 z(x)がある。したがって、tが変わるとxが変わり、xが変わるとzが変わるから、結局 zxを通して tの関数である。このような関数zを「合成関数」という。 zは結局はtの関数であるからtに関する微分係数が存在する。それを求める道筋はこうであった。

  1. tt+ Δtとした時にx(t)x+Δxと変化したとして、まずその変化量 Δxx(t+Δt )-x(t)を求める。

  2. xx +Δxに変化した時にz(x) z+Δzに変化したとして、その変化量 Δzz(x+Δx )-z(x)を求める。

  3. ΔzΔt=ΔzΔx ΔxΔtと書き換えられるから、右辺にある二つの変化の割合を(3.2.5)式にしたがって <3-23>limΔx0 z(x+Δx) -z(x)Δx= dzdx、および、<3-24> limΔt0x (t+Δt)-x(t) Δt=dxdtを使い微分係数に置き換える。

この手続きを実行すると、合成関数z(x(t ))tに関する導関数が

<3-25> (3.1.15) dzdt= dzdxdxdt

と得られる。この結果を言葉で説明すると、

  • zxの関数であって、x tの関数であるとき、 ztに関する導関数zxに関する導関数と、 xtに関する導関数の掛け算で与えられる

ということである。
 合成関数に対しても全微分の必要になる場合がしばしばある。その場合には、(3.1.9)式から(3.1.10)式にいたる議論を注意深く繰り返せば、結論が得られる。その結論は次のようになる。

z=f(x)であり、 x=g(t)であるときに、 tの変化にともなうz (x)の全微分】
 tのわずかな変化にともなう z(x)の全微分は

<3-26> (3.1.16)  dz=df(x)dxdx = dfdxdgdtdt

である。
 合成関数が二つの変数を通して他の一つの変数に依存する場合もある。たとえば、z xy の関数z=f(x,y )であり、xtの関数x= g(t)ytの関数y =h(t)であるようなときである。結局 zxyを通してtに依存するので、tを変化させたときに生じる zの変化(全微分)を xyの導関数を使って表すことができる。結果は(3.1.16)式とほとんど同じであるが、今の場合は変数が二つあるために微分が偏微分となり、二つの変数に対応する偏微分係数が現れるところだけが違う。すなわち zの全微分は

<3-27>  dz= zxdxdt+ zydydtdt

である。これを証明することはそれほど難しくはないので、余力があればこの結果を導くことに挑戦するとよい。そうすれば合成関数の微分に対する理解が深まるであろう。
 zの全微分をt の微小量で割ることによって、ztに関する微分係数を求めることができる。上の式から、その結果は

<3-28> (3.1.17) dzdt= zxdxdt+ zydydt

である。
 一変数関数の全微分と二変数関数の全微分の違いは重要なので、それをまとめておく。

【一変数関数f(x)の全微分((2.1.2))式】
<3-29> df(x)= df(x)dxdx

【二変数関数g(x,y)の全微分((3.1.10)式)】
<3-30> dg(x,y)= g(x,y)x dx+g(x,y) ydy

 (3.1.17)式で合成関数z xyの関数で、 xyが一変数 tの関数である場合の全微分を考えたが、物理では xyが二つの変数の関数であって、zのそれらに関する全微分が必要になる場合も多くある。その場合の全微分を与えるために(3.1.17)式でxyt一つのかわりにrs2変数を持つとすると、その結果は

<3-31>  dz=zx xr+ zyy rdr+ zx xs+z yys ds

となり、したがってzrsに関する偏微分係数は

<3-32> (3.1.18)  zr=z xxr +zyy r zs=z xxs +zy ys

である。この証明は一変数の場合と何も変わらない。(3.1.17)式と(3.1.18)式を比べてz が依存する変数の数の違い(1個と 2個)が全微分にどのような違いを与えているか理解してほしい。
 関数が複数の変数を持ち偏微分係数が現れる例として、「波動方程式」と呼ばれる、おそらくは物理学のなかで最も重要な方程式を取り上げよう。「波動方程式」を満足する関数の変数は物理系の位置を表すxと時間を表すt2つである。ここでは簡単のために位置を表す変数がx1個だけとしたが一般には複数個あってもよい。ここでの場合は考えている物理系が暗黙のうちに直線上にあると考えているからであって、もし物理系が面上にあれば位置を表す変数は 2個となり、空間内にあれば3個になる。その場合は、変数 1個の結論を単純に拡張すればよい。
 今の場合、方程式の解である関数はxtの関数であるから、それを u(x,t)と書いておく。ここで行ないたいのは、観測から得られた情報をてがかりにしてuが満足する方程式を探すことである。どのような観測であるか説明はしないが、種々の観測から得られた情報として、xtu (x,t)に現れる時は必ず (x+ct)あるいは( x-ct)の組み合わせで現れることがわかっている。したがって、

<3-33>  x+ctp(x,t )x-ctq(x ,t)

として、この組み合わせでp qを、したがってxtを変数に持つ関数をf pg qとする。そうすると、 u

<3-34> (3.1.19) u(x,t)= f(p)+g(q)

のように表されることになる。このような特殊な組み合わせを解に持つ方程式はどのような方程式なのであろうか。不思議に思うかもしれないが、上式右辺の情報だけからuの満足する方程式が分かるのである。以下でその方程式(波動方程式)を導出する。

【波動方程式の導出】 fgの変数は

<3-35>  p(x,t)x+ ctq(x,t) x-ct

であるから、それらの偏微分係数は

<3-36>  px=1, pt=c qx=1, qt=-c

である。したがって、x tに関するuの偏微分係数は、(3.1.19)式に(3.1.18)式を使って

<3-37>  ux=dfdp px+dgdq qx = dfdp+dgdq ut=dfdp pt+dgdq qt = cdfdp-dgdq

となる。ここで、fp だけの関数であり、g qだけの関数であるから、それらの微分係数を偏微分記号を用いずに書いてあることに注意せよ。しかしそれらは依然として xtの関数であるから、さらにuxtで微分することができる。その時に dfdp pだけの関数、dgdqqだけの関数であることに注意して uの二階微分係数を求めると、それらは

<3-38>  2ux2 =x dfdp+dgdq = ddpdfdp px+ ddqdgdq qx =d2fdp2 +d2gdq 22u t2=t cdfdp -dgdq = cddp dfdp pt-d dqdgdq qt = c2d2f dp2+d2g dq2

である。この二式を比べれば、二階偏微分係数の間に

<3-39> 2u t2-c2 2ux2= 0

の関係の成り立つことがわかる。これが探していたu(x ,t)が満足する方程式で「波動方程式」と呼ばれ、とても重要な方程式である。逆に、もし この方程式を満足する関数uがあったら、その解は必ず (x±ct)の組み合わせで xtを含む。そして、この組み合わせでxt が含まれていさえすれば、それがどのような形で現われていてもよく、考え得る全ての形が解になる。解の具体的な形はその他の条件によって決まる。


【ルジャンドル変換】

 xyを独立変数に持つ関数fの全微分は(3.1.10)式で与えられた。また逆に、もし関数 fの全微分が(3.1.10)式の形に表されれば、 それを決めるdxdy にあるxy は関数fの独立な変数である。物理学で、ある物理量を表わす関数 f(x,y)xyが「独立変数」であるということは、x yの一方または両方の変化が互いに影響しないよう我々がそれらを自由に制御して、 fの表す物理量を測定できることを意味している。
 ところが、ある物理量を測定しようとするとき、状況によっては与えられた独立変数の制御がむずかしくなったり、あるいはそれより制御し易い変数の見つかることがある。そのときには独立変数を制御し易い変数に換えて物理量を表した方が便利である。全微分と独立変数の関係を利用して独立変数を入れ換える数学的な方法があり、それは「ルジャンドル変換」と呼ばれる。
 「ルジャンドル変換」は「物理学」の多くの局面で現れる。時には、「古典力学」と「量子力学」の橋渡しをするのに使われ、「現代物理学」では自然の仕組みを明らかにすることを可能にし、「熱統計力学」では熱力学的な状態を指定する重要な物理変数の一つとして「エントロピー」を我々に提供した。また「ルジャンドル変換」は「情報工学」や「光工学」「回路理論」などの工学分野でも、とても重要な役割をはたしている。それにも関わらず、ルジャンドル変換が物理学のために行われる数学の授業や教科書で詳しく説明されることは多くない。そこで本節では、「ルジャンドル変換」が物理学の「力学」や「熱統計力学」で使われる形式を想定して、その考え方を少していねいに説明しておく。
 いま、二つの独立変数x yを持つ関数F(x,y) があったとする。(x,y)それぞれが僅かに変化して(x+dx,y+ dy)になったとき、関数F(x, y)F(x+dx ,y+dy)に変わるが、もし dxdyが十分小さければ (dx)2,(dx )3,(dy )2,(dy)3,が無視できるので、F(x+dx,y+ dy)のテーラー級数展開の最低次を使ってそれを

<3-40>  F(x+dx,y+dy)=F (x,y)+F(x, y)xdx + F(x,y)y dy

と書くことができる。これから、(x,y)(x+dx,y+dy )に変わったことによるFの変化(全微分)を

<3-41> (3.1.19)  dFF(x+dx,y+dy) -F(x,y) =Adx+Bdy

と書くことができる。ここで、

<3-42> (3.1.20)  Fx=A Fy=B

と書いた。(3.1.19)式はFの変化を表すと同時に Fの全微分でもあり、したがって (x,y)Fの独立変数であることを意味していることをもう一度強調しておく。
 いま(x,y)の関数である Fと(3.1.20)式で与えられる Aを含む関数

<3-43> (3.1.21) G=F(x,y )-xA

を考える。右辺が(x,y)を独立変数に持つ関数からできているので、左辺も(x,y)を独立変数とする関数と思うかも知れない。しかし、左辺のGが依存する変数を書かなかったのは、以下で示すようにGの独立変数が (x,y)ではないからである。G の独立変数が何かを調べるためには、その全微分を作ればよい。(3.1.21)式を構成する (G,F,x,A)が、それらが持つ独立変数の僅かな変化に対して、それぞれ

<3-44> (3.1.22)  GG+dG FF+dF xx+dx AA+dA

と変化したとする。そのとき(3.1.21)式の両辺は、少し項を入れ換えて、

<3-45>  G+dG=F+dF-(x+dx )(A+dA) =F+dF-(xA+xdA+Adx+ dxdA)

となる。しかるに、(3.1.19)式よりdF=Adx+ Bdyであるから、最後の式の右辺にそれを代入し、少し計算すると

<3-46>  G+dG=(F-xA)+(dF -xdA-Adx)-dxdA = (F-xA)+(Bdy-xdA)- dxdA

となる。右辺の最初のかっこは(3.1.21)式からGなので左辺の Gと相殺し、また最後の項 dxdAは小さい二つの量の掛け算であるからその他の項と比べてさらに小さいので無視すると、結局上の式は

<3-47> (3.1.23) dG=Bdy-xdA

を与えることがわかる。
 この式は(3.1.21)式で定義される関数Gの独立変数が yAであることを示している。つまり、独立変数が(x,y)である FからGを定義した(3.1.21)式の右辺二項目にある(-xA)が、 Fの独立変数の一つである xAに入れ換える働きをしているのである。 Gを定義するときに(3.1.21)式の二項目の符号を変えて (+xA)としても、あるいは(3.1.21)式の一項目と二項目を入れ換えて G=xA-F としても、結果に符号の違いは生じるが、独立変数がxから Aに入れ換わることに変わりはない。これは自分で確かめよ。
 関数が持つ独立変数を、その関数に適当な項を加えたり減じたりして入れ換えるこのやり方が「ルジャンドル変換」である。以下に「ルジャンドル変換」の例題をいくつか与える。いずれの例題も「物理学」に現れる重要な「ルジャンドル変換」が背景にある。

【例題1】 「量子力学入門」の巻末にある付録で「量子力学」へのかけ橋になった「古典力学」の基本的な考え方が紹介されていて、古典力学の基礎方程式であるニュートンの運動方程式の背景には「最小作用の原理」とよばれる自然原理のあることが述べられている。そこでは二つの独立変数xvを持つ「ラグランジアン」という関数が重要な役割を演じる。ラグランジアンは

<3-48> (i)f( x,v)=m2v2- V(x)

という形をした関数である。右辺にあるmは定数で、物理では「質量」の役割をするが、ここではそれが何であるか気にしなくてもよい。V(x) xの関数であり、これも具体的な形は今は重要でない。また、 xvはもう一つの別な変数tの関数であり、本来なら x(t)v(t)と書くべきであるが、煩雑になるのでそれを省略しておく。重要なことは、f xvを通して tの関数であることである。ここではその詳細は別にして結果だけを与えるが、このように与えられた fに対して「最小作用の原理」を課すと、 fが満足する方程式

<3-49> (ii)d dtfv -fx= 0

が現われる。これに(i)で与えた fを使うと、 fv=mvかつ fx =-dVdxであるから、この方程式は

<3-50> (iii)d dt(mv)=-dVdx

となる。そこで、もし

【仮定】 xを質点の位置、 vを速度、 -dVdxを力と考える

ことができるなら、それをFとおき、さらに dvdtは加速度であるからそれを aと書くと、mは定数なので(iii)式は ma=Fとなり、それは「ニュートンの運動方程式」に一致する。もし興味があれば、以上のことは「量子力学入門」の巻末付録に詳しく書いてあるからそれを学ぶことにして、ここでは「ルジャンドル変換」の練習にその数学的な特徴だけを借りることにする。
 いま(i)式のf (x,v)に対し、

<3-51> (iv) fv=p

で定義されるpを使った関数

<3-52> (v)g= vp-f(x,v)

を使って、以下の三つの質問に答えることにする。

  1. gの独立変数はなにか?

  2. その独立変数を使ってgを表わしたとき、 gはどのような形になるか?

  3. もし(ii)式に現われる独立変数 xvtの関数( すなわちx(t)およびv (t))ならば、tが変わると (x,v)を通じてfも変わる。もしvdxdtであるとすれば、 gtとともにどのように変わるか?
【(1)の解】 (i)式より fv=mvであるから、 (iv)式よりp =mvである。これを憶えておいて、(v)式で与えられるgの独立変数がなにかを知るために gの全微分を計算する。 vpの全微分は

<3-53> d(vp)=vdp +pdv

であり、またf(x,v)の全微分は

<3-54>  df=fvdv+ fxdx = pdv-dVdxdx

であるから、定義(v)式より gの全微分は

<3-55>  dg=d(vp)-df =vdp+pdv- pdv-dVdxdx = vdp+dVdxdx

となる。全微分のこの式はgの独立変数が xpであることを表している。また、そうであれば、

<3-56> dg=g xdx+gp dp

でなければならないので、

<3-57> (vi) gx=dVdx gp=v =pm

である。第二式ではp=mvを使って vgの独立変数 pに置き換えてある。

【(2)の解】 p=mvを用いて (v)式のgを独立変数(x,p)で表すと

<3-58> (vii) g=pmp-m 2(pm)2-V( x)= p22m+V(x)

である。

(3)の解】 もしg tを含んでいなければ、tを変えても gは変わらないので dgdt0になる。しかし、もし gtを含んでいれば、tを変えるとgも変るのでdgdt0でない値を持つ。したがって gtを含んでいないかいるかは、 gt微分が 0になるかならないかを調べればよい。
 そこでdgdtを計算する。 gの独立変数であるx pはともにt の関数であるから、(3.1.16)式よりgt微分は

<3-59> dgdt= gxdxdt+ gpdpdt

で与えられる。
 仮定によって、もしv=dxdtであるとすれば、この右辺第一項にあるdxdtvであり、(vi) 式よりv gpに等しい。また右辺第二項の dpdt (iii)式より- dVdxであり、さらに(vi) 式よりdVdxgxであるから、よってdgdt

<3-60> (viii) dgdt=gx gp+g p-g x =0

となりgtを含まないので、tを変えてもg は一定に保たれる。

【例題2】ルジャンドル変換」の次の例題は「熱力学」に関連したことがらである。「熱力学」では、体積 V中にある温度T で圧力pの気体が有するすべての熱力学的性質がエントロピー Sと体積Vを独立変数に持つ「内部エネルギー」とよばれる熱力学関数Uを知ることによって理解される。Uの全微分は

<3-61> dU= USV dS+U VSdV

と書かれる。ここでU(S,V)の偏微分係数をU SVのように添え字を付けて記してある。これはUSVを独立変数に持ち、変数を変える際に Vを固定してSを変えていることを明示している。熱力学では物理量が複数の変数に依存することが多くあって、変化させる変数と変化させない変数に時々混乱が生じる。この記法は変化させない変数をはっきり示す「熱力学」特有の記法である。ここで二つの偏微分係数をそれぞれ気体の温度 (T)と圧力(のマイナス) (-p)と名付ける。すなわち、

<3-62>  T=U SV p=-U VS

とする。したがってUの全微分は

<3-63> (a)dU= TdS-pdV

と書ける。
 他の多くの物理量もUを使って与えることは出来るが、その変数である SVを制御することがむずかしい場合がある。そのときには、より制御しやすい量を変数に持つ他の熱力学関数を調べる方が便利である。
 独立変数(S,V)を持つ Uから出発し、ルジャンドル変換を使って (TS)(pV)の入れ換えを行うことによって、 Uを含め4種類の異なる変数の組み合わせ(S, V),(T,V), (S,p),(T ,p)を持った熱力学関数を作ることができる。すなわち、 (T,V)を独立変数とする熱力学関数をF(T,V)(S,p)を独立変数とする熱力学関数を H(S,p)(T,p)を独立変数とする熱力学関数を G(T,p)とすると、それらへのルジャンドル変換に全て名前がついており、

<3-64> (b) U ((S,V)を変数とする内部エネルギー) F=U-TS ((T,V)を変数とするヘルムホルツ自由エネルギー) H=U+pV ((S,p)を変数とするエンタルピー) G=H-TS ((T,p)を変数とするギブス自由エネルギー)

と呼ばれる。それぞれが示された変数を独立変数とすることを示せ。

【解2】 Fから始める。もし Fの独立変数が期待通り (T,V)であれば、その全微分は

<3-65> (c) dF=FTdT+ FVdV

の形を持たなければならない。そこでF=U-TS の全微分を計算する。dF=dU -d(TS)であるが、(a) 式およびd(TS)=TdS +SdTであるから[3]、

<3-66> dF= dU-d(TS) =TdS-pdV-(TdS+SdT ) =-SdT-pdV

となり、TVの独立で微小な変化によってFの微小変化が完全に決まるので、全微分と関数の独立変数に関して述べたようにF (T,V)を独立変数に持っていることがわかる。さらに、これと (c)式から、F を使ってSp を表すことができ、

<3-67> (d) S=-F TV p=-F VT

である。
 同様にH=U+pVについては、 (a)式およびd (pV)=pdV+Vdpであるから[2]、

<3-68>  dH=dU+d(pV) = TdS-pdV+(pdV+Vdp) =TdS+Vdp

となりHの独立変数が (S,p)であって、

<3-69> (e) T=H Sp V=H pS

であることがわかる。
 同様にG=H-TSについては、

<3-70>  dG=dH-d(TS)   =TdS+Vdp-(SdT+TdS)   =-SdT+Vdp

であるから、その独立変数は(T,p)であり、

<3-71> (f) S=-G Tp V=G pT

の関係が得られる。

【雑談】 ここまでの話の中で、すでに多くの数学者と物理学者の名前が出て来た。実は我々が「数学」と「物理学」を分けて考えるようになったのはそれほど昔のことではない。「量子力学」の誕生によって「現代物理学」が始まった20世紀に入ってからのことである。日本でも、数学と物理学の研究者の団体であった「日本数学物理学会」が数学研究者の「日本数学会」と物理学研究者の「日本物理学会」に分かれたのは 194512(第二次世界大戦後)のことであり、それまでは多くの研究者は、時には数学の、時には物理学の研究を行っていたのである。扱う事柄が多岐に渡り複雑になったため、一人の人間が両方の研究を同等に行うことが難しくなり、数学と物理が分離されたのはやむを得ないが、それがもたらした負の影響も少なくない。


§2. 複素数と複素平面

 簡単な複素数の考え方は高校の数学で学ぶが、ここではそれを復習し、さらに物理学で使う様式に仕上げる。
 我々が知っている2 3という普通の数は1を単位としてその大きさが測られている。つまり2とは単位 12倍を表し 3は単位13倍を表す。したがって本来なら、もし「単位数の何倍」かを表す記号を (×)と書けば、 21× 231×3と書き表されるべきである。しかし単位数の 1がいつも同じ形 (1×)で現れるので、それをいちいち書かなくても何の何倍かは分かる。そこで慣習的に1×を省略し、 1×2を倍数の 2だけを使って表し、 1×3を倍数の3だけを使って表すのである。このような「1を単位として表わされる数」のことを「実数」という。
 1という単位数の特徴は「単位数同士の積は単位数」、すなわち

<3-72> (3.2.1) 1×1=1

であることである。すなわち、単位数1を何度かけても必ず単位数になる。これをもとにして実数の演算規則が作り上げられるのだが、もし世の中に 1以外に単位数が存在しなければこの単位数の性質をことさら意識する必要はない。
 ここまでなら、上で書いたことを改めて思い出す必要はない。しかし、もし世の中に1 と異なる単位数が存在すれば、ここで述べたような1を単位数とする実数に対して与えた正確な理解が必要になる。
 そこで、1と異なる性質を持つ別種の単位数があったとし、それを単位数とする数を「実数」に対して「虚数」とよぶことにする。実数の単位数同士の掛け算が単位数になったのとは違って、 「虚数の単位数どうしの掛け算は( -1)となる」。すなわち、実数の単位数 1と区別するために虚数の単位数をi と書けば、すなわち

<3-73> (3.2.2) i×i=-1

である。1と同じように、 iの倍数である i×22ii×33iを考えることができる。いま二つの単位数があるので、たとえば1a倍と ib倍の組み合わせで表される量

<3-74> (3.2.3)  1×a+i×b=a+ib z

を考えることができる。複数の単位数を持ったこのような数を「複素数」という。
 高校で複素数を学んだときに、複素数の割り算を除く演算はその実数部分の単位 1と虚数部分の単位iの性質((3.2.1)式と(3.2.2)式)を使って与えられたと思うので、ここでは繰り返さない[4]。
 任意の複素数zは、その実数部分を(3.2.3)式の aの代わりにx、虚数部分を(3.2.3)式のbの代わりに yとすると、

<3-75> (3.2.4) z=x+iy

のように与えられる。しかし一つのzを与えるためには必ずしも xyを直接指定する必要はなく、それらを間接的に指定してもよい。そのやり方の一つに「複素数の円座標表現」とよばれる方法がある。「複素数の円座標表現」は「物理」でとても多く使われ、重要な役割を果たすので、ここでその説明をしておこう。
 一つのzを与える(3.2.4)式の二つの実数の組 (x,y)(x-y)平面上にある一点の座標と考えることによって、一つのz (x-y)平面上の一点に対応させることができる。面内の一点が一つの zを表すこの面のことを「複素平面」という[5]。複素平面における複素数の様子を図3.2.1に描いている。図の下に図3.2.1の詳しい説明を与えてある。

(図3.2.1)【複素数と複素平面】

【(図3.2.1)の説明】 紙面下方に右向き矢印のついた線分が水平に描かれている。水平線分上の点が複素数 zの実数部xの値を表すことを示すために、直線の右先端に右向きの矢印がつけられ、その右に「実数軸」という文字が記されている。水平線分の左端近くで、それと垂直に交差する線分が紙面上方に向かって描かれ、その線分の上端に上向きの矢印がつけられている。垂直線分上の点が複素数 zの虚数部yの値を表すことを示すために、その矢印の上に「「虚数軸」という文字が記されている。二つの線分の交点から、実数軸に対しある角度で右斜め上方に向かって線分が引かれており、その先端にその方向を示す矢印がついている。その先端にはこの線分が複素数であることを表わす数式 z=x+iyが記されており、線分のなかほど上側に線分の長さ、すなわち後ほど説明する複素数の大きさを表す文字rが記されている。線分の先端から実数軸上と虚数軸上に垂直に二本の点線が引かれている。実数軸とそれに垂直な点線が交叉する点の下にはその点が複素数の実数部であることを表すxが記され、虚数軸とそれに垂直な点線の交点左にはその点が複素数の虚数部であることを表す文字yが記されている。原点から右上方に引かれた半直線と実数軸との間には、それらの角度を表す小さな円弧が描かれ、その右に角度の大きさを表す文字 θが記されている。

 複素平面の実数軸と虚数軸の交点を原点とし、原点と複素平面上の一点(x ,y)を結ぶ線分の長さrと、その線分と実数軸がなす角θを用いて、複素数の実数部 xと虚数部y

<3-76> (3.2.5)  x=rcosθ y=rsinθ

と表すことが出来る。このcosθsinθに対して第二章の「§2.テーラー級数とマクローリン級数」で与えた三角関数のマクローリン級数展開を用いれば、(r,θ )を使ってz=x+iy

<3-77>  z=r(cosθ+isinθ) = r(1-θ22! +θ44!-) +i(θ-θ3 3!+θ55!-)

と表すことができる。
 ここで、虚数単位iの性質から i2=-1i 3=-ii4 =1i5=ii6=-1なので、z

<3-78>  z=r(1+( )22!+( )44!+) + (+()33! +()55!+ ) = rk=0 ()kk!

と書くことができる。この最後にある無限級数の和は第二章の「§2.テーラー級数とマクローリン級数」で与えた表にある exのマクローリン級数展開で、 xとした関数eのマクローリン級数展開に他ならない。したがって、(3.2.4)式の複素数z( x,y)(r, θ)を使って

<3-79> (3.2.6)  z=x+iy = r(cosθ+isinθ) = re

のように、三つの形で表わすことができる。上の式の二段目と三段目に含まれる恒等式

<3-80> (3.2.7) e=cosθ +isinθ

は「オイラーの恒等式」とよばれる重要な式であり、これから何度も使われる。
 (3.2.1)式における(x,y)を使った zの表現を「複素数の直交座標表現」という。それに等価な (r,θ)を使った zの表現を「複素数の円座標表現」という。また、 rを「z大きさ」、θを「z 偏角」という。r|z|θarg( z)と書くこともある。
 (3.2.2)式から、zの「円座標表現」と「直交座標表現」の間に、また zの大きさと偏角との間には

<3-81> (3.2.8)   r=|z|=x2+ y2 tanθ=yx  または  θ=arg(z) = tan-1 yx

の関係のあることがわかる。
 少し寄り道になるが、角度の大きさに数値を与えるときの注意をしておく。一般に三角関数の角度に数値を与えるときは、度(°)を単位とした数値であっても、弧度(ラジアン)を単位とした数値であっても構わない。しかし(3.2.6)式や(3.2.7)式の角度に数値を与える時には弧度(ラジアン)を単位とした数値でなければならない。すなわち、

【注意】 複素数の円座標表現に使われる角度θに数値を与える時は、度(°)を単位とした数値ではなく、弧度(ラジアン)を単位とした数値を用いなければならない。「ラジアン」を単位とした角度を度(°)を単位とした角度に換算するときは、「半径1の円に対し、動径の先端が 360円を一周した長さが円周の大きさ2π(ラジアン)である」ことから、

<3-82> (3.2.9)  360=2π [ラジアン]すなわち 180=π [ラジアン]3.14 [ラジアン]

とする。これを使って「度数法」と「弧度法」の換算ができる。いくつかの代表的な角度についてそれらの関係を表3.2と図3.2.2に与えておく。

【表3.2】角度(θ)の「度数法」と「弧度法(ラジアン)」表現およびcosθ sinθz
θ(°) θ(ラジアン) cosθ sinθ e=z
0 0 1 0 e0=1
30 <3-83> π/60.52 3/2 1/2 <3-84> e/6 =3/2+i(1/2 )
45 <3-85> π/40.79 1/2 1/2 <3-86> e/4 =1/2+i(1/ 2 )
60 <3-87> π/31.05 1/2 3/2 <3-88> e/3 =1/2+i(3/2 )
90 <3-89> π/21.57 0 1 <3-90> e/2 =i
135 <3-91> 3π/4 2.36 -1/2 1/2 <3-92> ei3π /4=-1/2+i (1/2)
180 <3-93> π3.14 -1 0 <3-94> e=- 1
225 <3-95> 5π/4 3.93 -1/2 -1/2 <3-96> ei5π /4=-1/2-i (1/2)
270 <3-97> 3π/2 4.71 0 -1 <3-98> ei3π/2 =-i
315 <3-99> 7π/4 5.50 1/2 -1/2 <3-100> ei7π /4=1/2-i( 1/2)
360 <3-101> 2π6.28 1 0 <3-102> ei2π =1


この表にある複素数を複素平面上で表したものを図3.2.2に描いてある。その下に図の詳しい説明を与える。

(図3.2.2)【複素平面単位円上の複素数の位置と円座標の角度(ラジアン)】

【(図3.2.2)の説明】 紙面の中央に、先端に右向き矢印が付いた水平線分(x軸)と、中央でそれと直交する、先端に上向き矢印が付いた線分(y)が十字の形に紙面中央で交差するように描かれている。二つの線分の交点(原点)を中心とした大きな円が描かれており、その円弧上に小さな丸印が、その点と原点を結ぶ点線がx軸となす角( 30(2時の方向),45 (2時半の方向),60 (1時の方向),90 (0時の方向),135 (10時半の方向),180 (9時の方向),225 (7時半の方向),270 (9時の方向),315 (4時半の方向))の位置に10 個描かれている。丸印のそばにその点が表す複素数の偏角を弧度(ラジアン)で表した文字が記されている。


 以下に、(3.2.7)式の「オイラーの恒等式」を使って得られる重要な関係式を与えておくので、この先で必要になったらここを参考にしてほしい。これらの関係式の証明は難しくないので、余裕があれば試みるとよい。

<3-103> (3.2.10)  cosθ=12(e+ e-)sin θ=12i(e -e-)

<3-104> (3.2.11)  (cosθ+isinθ)n =cos()+isin()

(3.2.11)式の関係を「ド・モアブルの定理」と呼ぶ。
 「オイラーの恒等式」を使って、二つの複素数の積に関する、以下の重要な性質を導くことが出来る。これも証明は難しくないので、各自が試みるとよい。

【重要な関係式】 二つの複素数を(z1 =r1eiθ1 )(z2= r2eiθ2)とし、 それらの積を(z1z2 z=re)とすれば、積の大きさと偏角はそれぞれの大きさと偏角を使って

<3-105> r=r1r2

および

<3-106>  θ=θ1+θ2 arg(z)=arg(z1 )+arg(z2)

のように表される。


【複素共役】

 複素数の内容がどうであっても、それに含まれるすべてのiの符号を反転する、すなわち(+i)(-i)とし、 (-i)(+i)とする操作を「複素数の複素共役をとる(または作る)」といい、その操作を施した複素数を元の複素数の「複素共役」とよぶ。そして、任意の複素数 zに対してその操作を行なった結果を z*と書くと約束する。そうすると、直交座標表現された複素数z=x+iyの複素共役は

<3-107> (3.2.12) z*=x- iy

である。また、円座標表現された複素数z=re の複素共役は、rは実数なので iを含まず、また (e)*=e-i θであるから、

<3-108> (3.2.13) z*=r e-

である。(3.2.6)式の複素共役を作ってみれば、(3.2.12)式と(3.2.13)式が等しいことは簡単に理解できるであろう。
 さらに、zとその複素共役の積を作ると zz*=(x+ iy)(x-iy)=x2+ y2であるから、(3.2.9)式からわかるように、これは zの大きさrの二乗を与える。すなわち、

<3-109> (3.2.14)  zz*=|z| =r

である。
 以下に複素数が含まれる演習問題をいくつかあげておく。ここでは【問2】、【問3】、【問4】、【問7】を解くので、それにならって残りの【問1】、【問5】、【問6】、【問8】を解いてほしい。いずれも高校の数学にはなかった問題である。また、いずれの問題でも z=x+iyであり、 xyは実数であるとする。

【問1】 zが複素数であれば zもまた一つの複素数である。二つの実数 uvを使って z=u+ivと書いた時、uvxyを使って表わせ。

【問2】 coszを二つの実数 uvを使って cosz=u+ivと書いた時、 uvxyを使って表わせ。

【問2の解】 (3.2.7)式からcosz=1 2(eiz+e-iz )なので、e±iz =e±ixey であるから、cosz=12 (eixe-y+ e-ixey)となる。さらにこの右辺の e±ixにオイラーの恒等式 e±ix=cos x±isinxを代入すれば

<3-110>  cosz=12[(cosx +isinx)e-y +(cosx-isinx)ey ] = 12[(ey+e- y)cosx -i(ey-e-y )sinx]

であるから、もしこれをcosz=u+iv と書けば

<3-111>  u=12(ey+e -y)cosx v=-12(ey- e-y)sinx

となる。この右辺にある12(e y±e-y)双曲線関数と呼ばれる関数で、

<3-112>  12(ey+e- y)=coshy 12(ey-e- y)=sinhy

と書かれる。この書き方を使うと、uvxyを使って

<3-113>  u=coshycosx v=-sinhysinx

である。sinzも同じ様に処理され、結果だけを与えると、

<3-114> sinz=coshysin x+isinhycosx

と表される。

【問3】 高校の数学では、方程式x2- a2=0は左辺がx 2-a2=(x+a)( x-a)と因数分解されるので x=±aが解であり、 x2+a2=0は因数分解が出来ないので解はないとされていた。しかしこれは、暗黙のうちに、xが実数であると考えているからで、もしxが複素数であっても良いとすれば、 x2+a2 =0は解を持つ。そのことを示す問題である。
 改めてxが複素数であってもよいと考えそれを zと書いて、( z2+1)=0を解くことを考える。もし複素数の使用を許せば、(z2+1 )z2+ 1=(z+i)(z-i)と因数分解することができる。したがってz2+1= 0z=±iを解に持つ。これと同じようにしてz3+1 を因数分解し、z3+1= 0の解をすべて求めよ。

【問3の解】 z3+1z3+1=(z +1)(z2-z+1)と因数分解することができる。したがってz3+1 =0の解は

<3-115>  z=-1 あるいは z2-z+1=0

を満足するzである。 z2+1と同じ様に、二次方程式の根の公式を使うと、後者は

<3-116>  z=1±-32 = 1±i32

を根に持つ。したがってz3+1= 0を満足するz

<3-117> z=-1,  1+i32, 1 -i32

のいずれかである。

【問4】 z4+1=0 を満足するzの値を全て求めよ。ただし zの偏角θ0θ2πにあるものとする。

【問4の解】z4=-1を満足するzを求めればよい。円座標表現を使えば (-1)e,e i(3π),e i(5π),e i(7π),であるから z4=e ,ei(3π) ,ei(5π) ,ei(7π), である。(ea) b=eabを使ってこの両辺の 1/4乗をとり、偏角が (02π)ラジアンの間にあるものを残すと、z=ei(π /4),ei(3 π/4),ei( 5π/4),ei (7π/4)を得る。表(3.2)を参考にして、それらを z=x+iyの形で表すと、

<3-118>  ei(π/4)= cosπ4 +isinπ4 =12+ i2 ei(3π/4)= cos3π4 +isin3π 4 =-12 +i2 ei(5π/4)= cos5π4 +isin5π 4 =-12 -i2 ei(7π/4) =cos7π4 +isin7π 4 =12 -i2

である。これらがz4=-1を満足していることは、それぞれの解を4乗し、それらが -1となることを示せばよい。この四つの解を円座標表示を使わずに求めることはたいへん厄介である。しかし、あえてそれを試みて円座標表示の有用性を実感してもよい。

【問5】 z3+i=0 を満足するzの値を全て求めよ。

【問6】 ln(z)=1を満足する zの値を全て求めよ。

【問7】 複素数w=i+ 1cosθ-isinθの大きさを求めよ。

【問7の解】 任意の複素数wの大きさ |w| |w|2=ww*の正の平方根によって与えられる。w=i+1 cosθ-isinθであるから、したがって

<3-119>  |w|2=i+1cos θ-isinθi +1cosθ-isinθ *=(i+ 1)(-i+1)(cosθ- isinθ)(cosθ+isinθ) = 2cos2θ+sinθ2 = 2

となるから、ゆえに|w|=2 である。

【問8】 複素数2+i 3+iの大きさを求めよ。


[1] もちろん「方程式の右辺にある変数が独立変数で、左辺にある変数が従属変数でなければならない」といったきまりはない。しかし物理では方程式が与えられれば、右辺にある変数は実験や測定で制御する物理量、左辺にある変数は方程式から決定される物理量ということが暗黙裡に了解される場合が多い。したがって、物理学の場合にはa= bb=aという二つの方程式は異なる意味を持つことがある。たとえばよく知られているニュートンの方程式F=ma でも、それをF=ma と書くか、ma=F と書くか、0=F- maと書くかによって、物理学ではすべて意味が異なる。したがって物理学の方程式の場合は意味もなく項を移しかえてはいけない。

[2] 「存在するか?」という問いかけは数学でしばしば現れ、それで証明されたものは「存在定理」と呼ばれる。ここで与えた関数の存在定理を抽象的と感じるかもしれない。しかし扱っている変数が物理変数であれば、存在定理とその関数は、我々には未知の物理量が自然界に存在することを示唆する。実際に、そのようにして我々が手に入れた自然科学の知見は少なくない。

[3] d(TS)TSをそれぞれ T+dT S+dSにわずか変えた時のTSの変化であるから d(TS)=(T+ dT)(S+dS)-TSで与えられる。これを計算すると、d(TS)=TdS+ SdT+dTdSであるが、最後の項は二つ小さい量 dTdSの積であるから、その前の二項に比べると非常に小さい。そしてdTdSを小さくすればするほどその項はますます小さくなり、ついには無視できるようになる。したがって、最終的に d(TS)d(TS)=TdS+ SdTと書ける。

[4] もちろん、二つの複素数の割り算を行なうことはできる。しかし複素数に関しては、四則演算のうち割り算だけが他の演算と比べてとても面倒な演算規則を持っている。そのため初等学習の段階では言及されないのが普通である。一応、二つの複素数、 (a+ib)(c+id)の割り算の結果だけ与えておくと、a+ib c+id=ac+bd c2+d2-i ad-bcc2+d2 である。余裕があればこの導出に挑戦するとよい。

[5]xを横軸に、 yを縦軸にとって表した平面の一点の座標を一つの複素数 zに対応させることができる」と書いたが、「一つの複素数 z」は必ずしも正しくない。複素数は大きさと同時にその点と原点を結ぶ線分が x軸となす角度(偏角)を与えることによって指定されるが、 x軸から測られる角度は一意的に決まらない。その点が原点の周りに何回か回転した結果、角度がそこにあるかもしれないからである。すなわち、その点が原点の周りに回転した回数を言わないと特定の一点とすることはできない。言い換えると、複素平面上の一点は無数の複素数zに対応する。普通は、特に断らなければ0回転が意味されている。