物理学の言葉は数学である。自然現象がなぜ起きどのように変化するのか、それはどのような結果に至るのか。それを「法則」として適切に表し・理解し・使用するためには数学が必要である。中学校で学ぶ「理科」や、高等学校で学ぶ「物理」ではその言葉を使うことが制限された。その制限のなかで自然現象を表す「法則」を理解しようとすると、法則を暗記する以外に方法はなかった。そのため、中学や高校で「理科」や「物理」を学ぶには暗記が必要と思われ、その試験にも暗記を前提とする問題が出題されることも事実である。
「物理を学ぶには暗記が必要」は誤解であるどころかまったく間違っている。「物理を学ぶのに暗記は必要ない」。それが証拠に、ノーベル物理学賞を受賞した多くの物理学者はその他の学問分野の研究者に比べ格別優れた暗記力を持っているとは思えない。優れた暗記力がなくても優れた研究ができるには理由があり、それは次のことを指摘すれば理解できるであろう。
もし中学校の「理科」や高校の「物理」教科書に出てくる様々な法則をそれらを正しく表す「数学」を使って表現すると、多くの法則が同じ言葉で表わされる。例えば「振動」「波動」「光学」「電気」「磁気」の現象はまったく同じ数学で表現される。このように、複雑なたくさんの現象がたった一つの、それも短い簡単な言葉で表されたとすれば、その一つの言葉を憶えることはそれほど難しいことではない。それが、暗記力の優れていない多くの物理学者が優れた研究の出来る理由である。
したがって、「物理学」を正しく理解し、冒頭で述べた「考える作法」を身につけるためには、「物理学」で使う数学が必要である。そのなかには「物理学」特有の、かつ非常に重要な数学的概念である「次元」と「単位」も含まれる。「次元」と「単位」は中学や高校でそれほど強調されて学ばないので、「量子力学」の学習で必要になる諸量の「次元」と「単位」を与えておく。
§2.物理量の次元と単位
高校の「物理」ではあまり強調されなかったと思うが、「物理学」には「次元」という重要な概念がある。“三次元テレビ”や“四次元の世界”の“次元”も物理の重要な概念であるが、ここでいう“次元”は意味が違う。物理では様々な物理量を扱う。その中には「エネルギー」「速度」「電流」といった日常生活で馴染み深い量もあれば、「角運動量」や「慣性モーメント」などという、聞いただけではわけが分からない量も多くある。もちろん、それらの名前を憶える必要はない。忘れたら適当な教科書を調べればよい。必要なのはその内容である。
たとえば、代表的な物理量の一つである「速度」という言葉には馴染みがあるはずであろう(後で分かるが、物理では以下の速度を本当は“速さ”と言わなければならない。しかし“速度”の方が馴染みやすいと思うので、ここではこのまま使うことにする)。「速度が時速
」というように使う。もちろんその意味は、我々の乗っている自動車がもしこのまま時間走り続けたら、一時間後に
離れた地点まで行くという意味である。といっても、実際には信号があったり交通渋滞があったりで、時間走っても進まないであろう。また、ウサイン・ボルトはを
で走るが、これは時速に換算すれば時速である。ボルトが実際にこの速さで一時間走れないのは明らかであろう。この速度でも走れば疲れきってクタクタになるに違いない。
大事なことは速度が「ある決まった時間内に走る距離」であることで、それを知ってさえいれば、そのまま自動車が走り続けると、どのくらいの時間でどこまでいけるかは“速度”に時間をかければ分かるし、行きたい遊園地までの距離を“速度”で割れば、目的地に行き着く時間が分かる。これは誰もが日常的に行っていることである。
実は、この「“速さ”に時間をかければ距離になる」や「距離を“速さ”で割れば時間になる」は、距離を時間で割った量が“速さ”として我々の頭の中に浮かんでいるから出来ることなのである。「ある物理量が時間や距離(長さ)がどう組み合わされて作られているか」を表す式に名前が付いていて、それを「次元」という。いわば「次元は物理量の構造を表す式」と言ってよい。くれぐれも次元を、物理量の大きさを測る物差しの単位と間違えないように注意してほしい。次元を知らなければ物理を理解することはむずかしくなるが、単位はもし忘れたら、大きさを計算するときに何かで調べれば十分である。(しかしながら単位を憶えていると、それを調べる時間の節約になることは間違いない。)
自然界にはたくさんの物理量があるが、その基本次元は「長さ」と「時間」と「質量」の
個しかない。もし扱うのが電気現象である場合はこの
個に「電流」が加えられる。もし扱うのが多数の粒子からなる系の熱や統計的な現象の場合にはこの個に粒子数を表す「モル」が加えられる。また、もし対象が光である場合は明るさ(光度)を表す「カンデラ」が加えられる。この巻では物体の運動を想定するので、現れる物理量の基本次元は「質量」「長さ」「時間」の個だけである。
ある物理量の次元を知るには、その物理量がどのような意味を持つかを知らなければならない。たとえば、速度の大きさ(速さ)
は「単位時間あたりに進む距離」すなわち「進んだ長さをそれに要した時間で割った量」であるから、の次元は長さと時間の基本次元を使って
<1-1> (1.2.1)
と書かれる。ここで[…]は…が表す物理量の次元という意味であり、は長さ(Length)の基本次元、は時間(Time)の基本次元で、
はその物理量が作られる時に、時間が分母に一回現れることを表している。
「物理量がどのような意味を持つかを理解すれば、その次元は基本次元がどのように組み合わされているかが分かる」と書いたが、逆に物理量の次元を知ればその物理量の基本的な意味が分かり、他の物理量との関係も分かる。すなわち、次元を知ることは物理量が持つ意味を知ることである。
述べたように、物体の運動に関係する全ての物理量(力学量)の次元はつの基本次元の組み合わせで出来ている。と
に加えてもう一つの基本次元は質量(Mass)を表す
である。この三基本次元の組み合わせで全ての物理量の次元が表される。この他の物理量(「電磁気学量」と「熱学量」)も加えて、実際の例を見てみよう。ついでに物理量の大きさを測る物差しの単位を与えたが、さしあたって必要ない。
力学量 | 次元 | 単位(MKS)[1] | 単位(CGS)[1] |
---|---|---|---|
速度 | |||
加速度 | |||
力 | |||
エネルギー | |||
角速度 | |||
角運動量 | |||
振動数 |
電磁気学量 | 次元 |
単位(MKSA) | 単位(CGSA) |
---|---|---|---|
電流 | |||
電荷 | |||
電流密度 | |||
電場 | |||
電位 | |||
磁場 | |||
電気抵抗 | |||
電気容量 |
熱力学量 | 次元 |
単位(MKS) | 単位(CGS) |
---|---|---|---|
温度 | |||
ボルツマン定数 | |||
熱容量 | |||
エントロピー | |||
圧力 | |||
体積 | |||
密度 | |||
自由エネルギー |
物理で自然法則や自然現象を表すために数式や方程式を使う。方程式が与えられたからといって、特に数値が式に含まれる場合は、それをそのまま使おうとすると面倒なことが時々起きる。それを避けるために「無次元化」という手続が必要になることがある。
「無次元化」は必ずしも面倒を避けるために行うだけではない。無次元化した方程式をながめるだけで、面倒な数学を使って方程式を解かなくても答えがどの程度になるかを簡単に知ることができる。実際に生活する上では、それで十分なことがほとんどである。たとえば、原子の大きさは
【知っておくべきこと】