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第三章 古典物理学の破綻

 話を古典物理学に戻そう。19世紀に完成した古典物理学を 20世紀の新しい実験手段を使って見直したとき、そこに古典物理学では説明できない不思議な現象が多く現れた。それを解決しようとして登場したのが「量子論」であるが、その結論は古典物理学で確立された自然描像と対立する、とても奇妙に見えるものであった。しかしそれを受け入れざるをえない現象も次々に現れた。この章では 19世紀後半から20世紀前半にかけて現れて、量子力学の登場を促した「古典物理学では説明できない不思議な現象」を概観する。
 1887年のトムソンによる電子の発見と 1896年のベクレルによる放射線の発見は、それ自体の重要性もさることながら、極微世界を研究する強力な手段を研究者に提供したことで非常に重要な発見であった。この新しい手段を使って 19世紀末から20世紀初頭にかけて行なわれた極微な物理系に対する数々の実験は、それまで確立された古典的物理描像と相容れない結果を次から次と提示した。
 そこで古典的物理描像と相容れなかった実験結果を大きく分けると

に分類されるが、これらはいずれも「量子化」という概念に基づく新しい考え方「前期量子論」によって解釈され、理解された。この過程を経て、1925年にハイゼンベルグと 1926年にシュレーディンガーが独立に、古典物理学とは全く異なる形式の新しい理論を提唱した。この二つの理論は同等なものであることがすぐに証明され、新しい物理学である「量子力学」が誕生した。
 本章では極微なスケールで古典的物理描像と相容れない結果を示した代表的な例を題材にして、量子論誕生に至る思考をたどりながら、量子論の意味を理解する。


§1. 古典物理学の破綻とプランク、アインシュタインによる解決策

【黒体輻射の問題】

 18世紀半ばから19世紀にかけ英国で起こった産業革命を推進したのは鉄工業であったが、それが「古典物理学」を揺るがし、後に「量子力学」を生み出す原動力になろうとは誰も考えなかったであろう。しかし、そこにはそうあるべき理由があった。鉄は溶鉱炉で溶かされた鉄鉱石を精製して作られる。そのため溶鉱炉内は数千度の高温に熱せられるが、それを囲む壁は内部の熱をほぼ完全に遮断し外部にもらさないよう作られていた。あらゆる波長の光(熱)を完全に吸収し外部にもらさない物体を「黒体」というが、溶鉱炉の壁はまさにその黒体であった。鉄の生成に必要な情報である溶鉱炉内部の温度や熱エネルギーは、小さなのぞき窓からもれる光の振動数(または波長)を測定することによって測られた。
 問題になったのは、振動数ごとに測定された輻射場(電磁場)の「単位体積当たりのエネルギー(エネルギー密度)」であった。振動数 νの測定に精度の限界があり、それ以下の値は判別ができない振動数を とするとνν+の間にある振動数はすべて同じ振動数 νとみなされる。そこで振動数が νν+の間にある、単位体積当たりの輻射場のエネルギー(エネルギー密度)をu(ν) と書くと、測定されたuは小さな振動数の極限 (ν0)ν2のように 0となり、νが大きくなるにつれて増加し、ある振動数の値で最大となり、さらに振動数が大きくなると減少し始めて、(ν )と見なせる非常に大きな値になるとu0に向かって急速に小さくなる様子が観測された。
 測定されたエネルギー密度のこの特徴を再現するため、1896年にウィーンは振動数とエネルギー密度の間に成り立つ「ウィーンの実験式

<3-1> (3.1.1) u(ν)= a1ν3e-a2 ν/T

を提唱した。この中に含まれる2つの定数( a1 a2)をうまくえらぶと、「ウィーンの実験式」は ν3のため小さな振動数では 0を与え、また指数関数<3-2> e-a2ν/T のため大きな振動数の極限(ν )でも急速に0となって、観測された uの振る舞いをよく表すことができた。しかし小さな振動数の極限 (ν0)では、ウィーンの実験式はν3に比例して 0になるため、観測された ν2に比例して0になる特徴を再現することができなかった。
 一方、1900年にレイリーとジーンズは 19世紀に完成していた「統計力学」を用い、温度 Tに熱せられた溶鉱炉内にある比較的低い振動数(したがって長い波長)を持つ輻射場の振動数νとエネルギー密度の関係を説明する「レイリー‐ジーンズの公式

<3-3> (3.1.2) u(ν)= 8πν2c3 kBTdν

を与えた。詳しい計算は与えないが、この式の中にある(kB T)は統計力学が与える輻射場の平均エネルギーであり、温度 Tの理想気体を構成する粒子が1個当たり 3kB T2のエネルギーを持つことに対応する(後でこのことを使うのでおぼえておくこと、第二章§3参照)。
 この式は低い振動数でν2のように 0になるエネルギー密度の特徴を非常によく再現する一方で、 νでは ν2に比例して無限大に向かって単調に大きくなるため、「 νでは急速に0になる」という観測結果を説明することができなかった。古典物理学で大成功を収めた統計力学に忠実に基づいて導かれた「レイリー‐ジーンズの公式」が観測結果を説明するのに失敗したことは非常に深刻で、この問題は「黒体輻射の問題」とよばれた。
 19世紀末になって、低い振動数から高い振動数にわたったさらに精度の良いエネルギー密度の測定ができるようになり、その全体的な特徴がいっそう明確になった。すなわち、エネルギー密度は低い振動数 (ν0)で「レイリー‐ジーンズの公式」が示すν2のように 0となり、ある振動数で最大値に達し、高い振動数 (ν)でウィーンの実験式が示す (e-a2ν /T)のように0となることが確認された。言いかえると、低い振動数における「レイリー‐ジーンズの公式」と、高い振動数におけるウィーンの実験式は実験から得られるエネルギー密度を与える。最後に課された問題は、

① 高い振動数領域(ν)において「レイリー‐ジーンズの公式」が破綻する原因を理解し、

② 低い振動数領域で正しい「レイリー‐ジーンズの公式」に矛盾しないように、高い振動数領域 (ν)で観測結果を再現する「ウィーンの実験公式」を理論的に導くこと

であった。


【プランクによる解決】

 1900年にプランクはたった一つの簡単な、しかしとても大胆な仮定の下に「プランクの輻射公式」を導き、上にあげた二つの問題を見事に解決した。すなわちプランクは「輻射は、振動数によって決まる 0でないエネルギ-の値を単位として黒体とエネルギ-のやり取りを行なう」と仮定して、プランクはこの単位のエネルギーを「エネルギ-量子」とよんだ。その内容をかいつまんで説明する。

【道草】
 プランクが「プランクの仮説」にたどりつくまで、彼は多くの思考錯誤を繰り返し、多くの失敗から学んで「プランクの仮説」にたどり着いたことをわすれてはならない。だからこそ、「仮説」が当時人々にどれほど奇妙と受け取られようとも、彼は自信を持ってそれが正しいと主張することができたのである。歴史も物理の教科書も、彼の思考錯誤と山のような失敗にはふれずに、「プランクの仮説」だけを紹介する。しかしながら、プランクが偉大であったのは、失敗を繰り返すことを恐れずに思考錯誤を続けたことである。科学の全ての成功は、それが偉大な成功であればあるほど、背後に多くの失敗があり、それから学ぶことによってもたらされたことを忘れてはならない。「プランクの仮説」の見事な成功は我々に、失敗を恐れすに物事に挑む大切さを教えてくれる。

 多くの思考錯誤を繰り返した後、プランクは測定結果を再現するために、振動数νを持つ輻射場のエネルギーが、

<3-4> (3.1.3) ε==ω

で与えられるεを単位にして数えられると仮定した。ここで ω=2πνであり、 <3-5>h2π とした。[1]。
 すなわち、輻射場のエネルギーは(1ν)であるか、 (2ν)であるか、 (3ν)であるか、…ということであり、輻射場はその間のエネルギーを持つことはできないというのが仮定の意味である。これが本当かどうかは、この仮定がもたらす結果が観測事実を説明出来るかどうかにかかっている。
 これを数式で表すと、振動数νの輻射場のエネルギーは

<3-6> (3.1.4) E=nhν=nω En,(n=0, 1,2,)

の値だけを持つことができるとプランクは考えたのである。もちろん古典物理学では、どのような振動数(波長)の輻射場であっても、波動方程式の解に現れる輻射場の強度を変えることによって、そのエネルギーの大きさを連続的に変えることができる。
 このエネルギー単位(ε=)を振動数 νの光の「量子(光量子)」といい、プランクの仮説を「光量子仮説」という。後にプランク定数と呼ばれる比例定数hは(3.1.4)式から得られる結論が測定結果をもっともよく再現するように決められた。その値を先に与えておくと

<3-7> (3.1.5) h=6.63×10- 34[J s]

である。
 hの値の小ささに注目して欲しい。その小ささのために、(3.1.4)式の νが考えられる範囲でどれほど大きくても、エネルギーの次元を持つ の値は我々が知るどのようなエネルギーと比べても、非常に小さな値になる[2]。しかし、以下に知るように、その小さな量が世界を変えたのである。
 レイリーとジーンズは彼等の分布則((3.1.2)式)を求める時に、エネルギーが連続にどのような値でも取り得ることを前提とする「統計力学」を使って、分配関数((2.3.3)式)とエネルギーを与える(2.3.4)式を計算した。しかし、もし輻射場のエネルギーが(3.1.4)式で与えられる不連続な値を持つとすれば分配関数を計算しなおさないといけない。もしエネルギーの不連続性が問題にならなければ、現れる結果はそれまでの結論を変えないであろう。
 具体的には、エネルギーが連続な値を持つとした前章の(2.3.4)式を「量子仮説」によって不連続なエネルギーの和に
<3-8> (3.1.6) Z(V,T)= Ve-βH(q,p) dNΓZ (V,T)=n=0 e-βEn

にしたがって置き換えなければならない。これに(3.1.4)式に与えられるE nを代入し、e-β En1だから、上式の右辺の和に対して x1より小さい時に成り立つ等比級数の和の公式

<3-9> 1+x+x2 +x3+=11-x

を使うと、分配関数は

<3-10> (3.1.7)  Z(V,T)=n=0 e-βnhν=1 +e-βhν+e-2 βhν+e-3βhν+ =11- e-βhν

となる。したがって、この系のエネルギーの平均値Eは前章の(2.3.5)式にこの Zを使って計算され

<3-11> (3.1.8)  E=-dlnZ(V,T) =d[ln(1-e-βhν )] =e-βhν 1-e-βhν =eβhν -1

となる。「レイリー‐ジーンズの公式」((3.1.2)式)でエネルギー密度を求める時に、古典物理学が与える輻射場の平均エネルギー E=kBTが使われていた。したがって、もしプランクの「量子仮説」にしたがうならそのkB Tを(3.1.8)式のEで置き換えないといけない。すなわち、溶鉱炉内の輻射場のエネルギー密度は(3.1.2)式ではなく、その中のkB Tを(3.1.8)式の右辺で置き換えた

<3-12> (3.1.9)  u(ν)=8π ν2c3× eβhν-1 =8 πhν3c3(eβhν -1)

でなければならない。この式を「プランクの輻射公式」という。
 これが観測されたエネルギー密度の特徴を示すことは次のようにして示される。振動数ν の十分小さな値に対しては(3.1.9)式右辺の分母にある指数関数の指数(βν )は小さいので、exxが小さい時のマクローリン展開 ex1+xを使うことができる。そうすると u(ν)

<3-13> (3.1.10)  ν0 のとき  u(ν) 8πhν3c3( βhν) =8πν2c3 kBTdν β=1kBT

となって、νが小さい時ν2のように 0になるという観測結果を再現することができる。((3.1.9)式の分子にあった ν3 ν2に変わるところに注意してほしい。)
 一方、νが大きな時は、(3.1.9)式右辺の分母にあるeβνがとても大きな数になり、それから引かれる1を無視することができる。そうすると(3.1.9)式は、 β=1 kBTを代入すれば、

<3-14> (3.1.11)  ν のとき  u(ν) 8πhν3c3 (eβhν) =8πhν3c 3e(-/kB T)

となって、見事に「ウィーンの実験式」((3.1.1)式)と一致する結果を与えている。
 また(3.1.9)式からu(ν)νの連続かつ正の値を持つ関数であり、(3.1.10)式と(3.1.11)式から ν0 ν0であるから、 νがその間のどこかにある時に最大となることがわかる。これもまた観測された輻射場のエネルギー密度の特徴であった。プランクは彼の定数hに(3.1.5)式の値を与えたが、この値は精密に測定された現在の値とほとんど一致している。
 残された問題は、「輻射はエネルギーのやり取りをを単位に行う」というのはあくまでも仮説であって、もしそれが正しいと考えられるなら、なぜそうなのかに答えることであった。その後に現れた量子力学がこれに答えを与えたのである。

【道草】
 「レイリー‐ジーンズの公式」を学んだ学生に、「レイリー‐ジーンズ」が一人の研究者の名前であると思っている学生と、「レイリー」と「ジーンズ」という二人の研究者の名前であると思っている学生がいる。正しくは後者で、レイリーは 1842年に生まれ、光に関する研究を行っていたイギリスの研究者で、ジーンズは 1877年に生まれたイギリスの天体物理学者である。二人はそれぞれの研究を通じ(実際にはレーリーが少し先行して)同じ公式にたどり着いたため、それに二人の名前がつけられたのである。二人はこの法則について議論をしたことはあるが、同じ場所で共同研究を行ったことはない。


【固体比熱の問題】

 外から力を加えるとそれに抵抗する力が働き変形しない物質を物理学では「固体」という。固体には原子(または分子やイオン)が整然と配列された「結晶」と、ガラスのようにそれらが不規則に配列された「アモルファス」がある。以下では結晶を想定する。
 固体を形成する物質の特性の一つに「比熱」がある。「比熱」は固体に熱を加えたときその温度を 1度上げるために必要な熱量である。簡単に暖まる固体はそれを暖めるのに多くの熱量を必要とせず、そのため比熱が小さい。逆に暖まりにくい固体は非熱が大きい。固体に熱を加えると、その熱の多くは固体を構成する原子に吸収されて原子は配列位置のまわりに振動し、その振動エネルギーの総量が固体の温度として観測される。したがって、比熱が小さい固体は熱すると原子が簡単に振動する。反対に比熱が大きい固体は熱を加えても原子がなかなか振動しない。
 簡単のために、一種類の原子が等間隔で互いに直交した3方向に配列されている「単結晶」を考える。同じ立方体が面を接して互いに直交した3方向に並び、格子状の原子配列が出来ている状況を考えるとよい。このとき、原子の配列点を「格子点」という。そのような単結晶に熱を加えると、その熱エネルギーは格子点で振動している原子に吸収され、振動が一層激しくなる。その振動エネルギーの増加は固体の温度上昇として観測される。もし加えた熱がそれほど大きくなければ振動は単振動になるが、その単振動の周期は固体によって決まっている。多量の熱が加えられると、原子の振動が復元の限界を越え、原子が所属していた格子点に戻れなくなる(固体が溶ける)。以下では、固体に熱が加えられたとしても、それは固体が溶けるほど多量の熱ではないとする。
 温度T室温程度を想定する)の単結晶固体を考える。もし格子点にある原子の振動エネルギーが固体の全エネルギーであるとすれば[3]、固体の種類に関係なく、温度 Tに保たれた固体の格子点にある原子はすべて等しく(3 kBT)のエネルギーを持って振動していると見なしてもよいことが証明できる(「エネルギー等分配の法則」という。以下の【参考】参照)。したがって、もし1モル(すなわち、アボガドロ数NA個)の原子を含むこの固体を温度 Tにおくと、それが持つエネルギー U

<3-15> (3.1.12) U=NA×( 3kBT)=3RT

である。ここで<3-16>RN AkB=8.3 JK-1 mol-1=2.0 cal/(molK)は気体定数である。よって、この固体の温度を1度上げるのに必要なエネルギー(熱量)は

<3-17> (3.1.13) CV=3R

となり、固体の種類や温度によらず一定である。これは「デュロン=プティの法則」として古典物理学でよく知られていた法則で、単結晶固体について我々が日常的に経験する温度環境で測定された結果と非常によく一致している。

【参考:振動する原子のエネルギー(古典物理学)】
 簡単のため、考えている固体の一個の格子点に1個の原子があるとして、格子点の総数、したがって原子の総数がNであるとする。温度 Tにあるこの系のエネルギーを古典物理学にしたがって計算し、「どの原子も等しく3kBTのエネルギーを持つと見なしてもよい」ことを証明する。
 多数の原子から成る系なので、「第二章古典物理学の復習§3. 多粒子系の物理学」で与えた分配関数を使って、そのエネルギーを求めることができる。原子の質量をmとし、固体が持つ N個の原子が §1.2【演習2】で与えた振動のハミルトニアン

<3-18> H= i=1f(=3N) pi22 m+12Kqi2    (1)

を持つとして、まずこの系の分配関数を第二章(2.3.3)式にしたがって計算する。振動子から成る物理系には他の系にない特徴が一つある。すなわち、 (1)式のハミルトニアンを持つ系では、もし原子を格子点から遠く離そうとすると、遠く離れれば離れるほどそれを引きとめる力が強くどこまでも働く。このような系を物理では「閉じ込め系」といい、自然界には多く存在する。説明は省くが、このような系では系の体積を考えずに積分を無限の区間で行うことができる。したがって、この系の分配関数は

<3-19> Z(N ,T)=1N! -e-β(K/2 )q12dq1 -e-β(K/ 2)q22dq2 × ×-e-β (K/2)qf2d qf× -e -β(1/2m)p12 dp1- e-β(1/2m)p2 2dp2× ×- e-β(1/2m) pf2dpf    (2)

である。qi piに関しては、それぞれに同じ積分がf( =3N)個あるので、どれか一つの積分を計算し、その結果を f乗すればよい。まず qiに関してはその一つをq1 とし、β(K/2) q1=xと置き換えれば、 dq1=2/(βK) dxであり、piに関してはその一つをp1とし、 β/(2m)p1= yと置き換えれば、dp1= 2m/βdyであり、新しい変数での積分区間は変わらないから、それぞれの対応する積分は

<3-20> - e-β(K/2)q12 dq1=2/(βK )-e- x2dx=2πβK (3)

<3-21> - e-β(1/2m)p12 dp1=2m/β -e- y2dy=2πmβ (4)

と計算される。したがって(2)式の分配関数は

<3-22> Z(N,T)= 1N!2πβK ×2πmβ f=1N! 2πωβf    (5)

となる。ここで<3-23>K/ m=ωとした。

 分配関数が求まったから、次は(2.3.5)式にしたがってN個の原子を持つこの系のエネルギーENを計算すると、

<3-24> EN=-N dlnZ=3NkBT

となり、この式では系のエネルギーがN個の原子に等しく (3kBT)づつ分配されていると見なしてもよいことを表している。これを「エネルギー等分配」という。これに基づいて与えられたのが(3.1.13)式の「デュロン=プティの法則」である。

 古典物理学は固体(単結晶)の比熱がどの固体でも温度によらず同じであるとする観測事実(「デュロン=プティの法則」)を説明したが、 19世紀後半からそれと矛盾する測定結果が次々に現れた。特に深刻であったのは固体比熱の低温における奇妙な振る舞いであった。ちょうどそのころ使われ始めた低温化技術を利用して多くの固体の比熱が低温で測定され、その結果がすべて「デュロン=プティの法則」と異なり、低温で比熱がまるで0に向かって減少するような振る舞いが観測されたのである。もしこれが事実なら、古典物理学は日常の温度を離れた状況では適用できないことになる。固体比熱の低温における奇妙な振る舞いはさらなる実験で確認された。この問題を解決したのはアインシュタインである。


【アインシュタインによる比熱問題の解決】

 アインシュタインは黒体輻射問題に対するプランクの解釈を知り、「エネルギー量子」の考えが固体比熱の問題にも適用できるのではないかと考えた。その理由は、固体が低温で持つエネルギーの担い手が振動する原子であり、一方プランクが問題にした輻射場は(ここでは示さないが)数学的に振動子の系と等価であることが知られていて、ともに両者は“振動子”から成る物理系であったからである。アインシュタインはこの類似性に注目し、輻射場で有効であった振動子系に対する考え方が固体内で振動する原子に対しても適用されるのではないかと考えたのである。
 実際にアインシュタインが行なったことは、プランクが黒体輻射の問題で(3.1.2)式から(3.1.9)式を得るときに行ったと同じように、温度 Tにある固体のエネルギーU を与える(3.1.12)式のなかの(kBT )を(3.1.8)式のEで置き換えることであった。すなわち、もし原子の個数が1モル( NA)であるとすれば、固体のエネルギーは

<3-25> (3.1.14) U=3NA e/(kBT )-1

となる。
 もし温度(T)が高く、その結果 (/kBT)1より十分小さければ、上式右辺の指数関数は以前(3.1.10)式で行ったと同じマクローリン展開を使って近似することができるので(3.1.14)式は

<3-26> (3.1.15) U=3NA kBT=3RT

となり、(3.1.12)式のUに一致し、したがってそれから得られる比熱は「デュロン=プティの法則」を再現する。一方、T=0に近い低温では、これも以前と同じように、(3.1.14)式右辺の分母にある1が指数関数に対して無視できるから、(3.1.14)式は

<3-27> (3.1.16) U=3NA e-/(kBT)

となり、これから計算される比熱は

<3-28> (3.1.17)  C=dUdT =3RkB T2e-/( kBT)

となる。ここでR=NAk Bである。この式は

<3-29> C=3R kB2 e-/(k BT)T2

と書き換えると、Tの非常に小さな値 (T0)の振る舞いが理解できる。すなわち、 T0 e-/(kBT) 0かつT2 0であるから「ロピタルの定理」が使える。「ロピタルの定理」は xaf(x) 0かつg(x) 0となる関数、あるいはxaf(x)かつ g(x)となる関数があるとき、その極限が

<3-30> limxa f(x)g(x)= limxaf' (x)g'(x)

で与えられるとする定理である。今の場合、β=1 kBTを使って e-/(kBT) T2

<3-31> e-/( kBT)T2= kB2β2 eβhν

と書き換えれば、T0すなわち β の型をしているので、これにロピタルの定理を適用することができる。そうすると、β=xと考え、 β2=x2eβhν=ehνxf(x)=x2g(x)=ehνxとすると、

f'(x)=2x, f''(x)=2, g'(x)=ehνx, g''(x)=() 2ehνx

であるから、ロピタルの定理を二度使うと、β2 eβhνの極限は 2()2 eβhνの極限で置き換えられる。この βの極限は分母だけが となるので0 であるから、よって

<3-32> limβ β2eβhν =0

となることがわかる。よって(3.1.17)式の比熱は低温になるとデュロン=プティの法則から大きくずれて 0に向かって減少するように振る舞うという観測事実に一致する。このことから、アインシュタインもまたプランクと同じように、

格子点で振動数νを持って振動する原子のエネルギーは を単位として「量子化」される

という「量子化」の結論を得たのである。
 プランクは「黒体輻射の問題」で、扱うエネルギーが小さくなるとエネルギーの不連続性(量子化)の影響が重要になることに気がついた。一方、アインシュタインは「固体の比熱問題」で量子化の影響が低温の固体に現れることに気がついた。それらの間につながりがあると思えないかもしれないが、後に現れる「ド・ブロイ波長」という言葉で結論をまとめれば、両者は同じことを指摘していることがわかる。


【光と電子の問題】

 電池の陰極と陽極につないだ金属板を対面させ、陰極側の金属板に光を照射すると極板間に電流が流れる現象を「光電効果」という。これに対して1839年、ベクレルは照射する光の振動数と電流の間に関係があることを発見した。それから半世紀後の1897年に電子が発見され、光電効果は光の照射によって金属板から電子が放出され、それが陽極に向かう現象であることが分かった。
 光電効果に関してその後多くの実験が行われ、次第にその特徴が明らかにされたが、いずれも古典物理学を使って説明することができない現象であった。要約すると、

  1. 照射する光の振動数がある値以上でないと、電子は放出されなかった。

  2. 照射する光の振動数を大きくすると、放出された電子の運動エネルギーは振動数に比例して増加した。しかし放出される電子の数は変わらなかった。

  3. 強い(明るい)光を当てると放出される電子の数は増えたが、電子1個が持つ運動エネルギーは変わらなかった。
 光電効果で電子が光のエネルギーを吸収して金属板から放出されたことはすぐに理解されたが、これらの特性を古典物理学に基づいて解釈することは難しかった。古典物理学にしたがえば、大きなエネルギーを持つ光は多くの電子にそれを分け与えることができる。したがって振動数に関係なく、明るい光は大きなエネルギーを持つので、明るい光を照射すると放出される電子の数も電子のエネルギーも増えるはずであった。しかし観測事実の 2はそれと矛盾した。また照射光が明るいほど放出される電子のエネルギーも大きくなるはずであった。しかし3はそれと矛盾した。
 これに対してアインシュタインは「光量子」という考え方を提唱した。

【アインシュタインの光量子仮説】
 「振動数νを持つ光はエネルギー を持つ量子から成る」というプランクの仮説がここでも適用され、金属内部の電子は振動数 ν光量子 1から のエネルギーを受け取る。

と考えた。そうすれば、光電効果のシナリオは次のようになる。
 電子が金属内から放出されるためには、電子を金属内にとどめている力から電子を解放しなければならない。それに必要なエネルギーを Φ(「仕事関数」という)とすれば、光が金属板に照射されても光量子のエネルギーΦ(「仕事関数」という)とすれば、光が金属板に照射されても光量子のエネルギーΦ より大きくないと電子は放出されない。もしこの考え方が正しければ、光量子のエネルギーが Φを越えて電子が放出されると、放出された電子はその差のエネルギー (-Φ)を運動エネルギー Eとして持つ、すなわち

<3-33> (3.1.18) E=-Φ

となるはずである。繰り返された実験は全てこれが正しいことを示した。さらにこの式は、E を縦軸とし、νの値を横軸にして測定された電子のエネルギーをグラフに表すとグラフは直線となり、その傾きがhであることを意味している。もし「光量子仮説」が正しければ、その傾きの大きさは(3.1.4)式のプランク定数の値と一致するはずである。
 実際にそれを行なうと、グラフは確かに直線になり、それから求めたhの値も見事に(3.1.4)式の値に一致した。さらに、強い光は照射する光子の数を増やすだけで、その光子のエネルギーを受け取り金属から放出される電子の数は増えるが、電子1個が持つ運動エネルギーは光子の振動数を変えない限り変わらない。
 1個の電子が複数の光量子からエネルギーを次々に受け取れば、大きな運動エネルギーを持った電子が放出されるのではないかと思うかもしれない。2個の光量子から続けてエネルギーを受け取って、その結果1個の電子から受け取る 2倍のエネルギーを持つ電子が放出されることも確かにある。しかし、「場の理論」を学べば理解できることであるが、それは放出された1万個の電子のうちに 1個程度しかなく、残りの電子はすべて 1個の光量子からエネルギーを受け取るのである。これは実験的にも検証されている。
 ここに、アインシュタインの光量子仮説によって

【アインシュタインの結論】 光は光量子(別名「光子」)の集合であり、光量子 1個はその振動数νで決まるエネルギー を持つ

ことが確立した。

【道草】
 アインシュタインは、1905年の「光量子による光電効果の説明」、 1905年の「特殊相対性理論」、 1906年の「ブラウン運動の理論」、1907年の「固体比熱の理論」、1916年の「一般相対性理論」等々、数々の偉大な業績を残したが、彼がノーベル賞を受賞したのは「特殊相対性理論」でもなく、「一般相対性理論」でもない。「光量子による光電効果の説明」で、しかもその一度だけであった。

 しかしながら困ったことがあった。光の「回折現象」はよく知られた波動現象であり、依然として「光が波動であること」は否定できない事実である。では、「光(電磁波)は伝播するときは波動として振る舞い、吸収・放出されるときだけは粒子として振舞う」と都合よく考えることができないであろうか。
 ところが1923年、コンプトンによってその可能性を否定する観測結果が報告された。X線(波長の短い電磁波)を電子に照射したとき、 X線の進路が電子によって変えられ、その波長が長くなる現象が観測されたのである。この現象はコンプトンの名をとって「コンプトン効果」と呼ばれた。もしX線が波動であるなら、それが電子のような障害物の存在によって波長を変えることはないはずであった[4]。それに対しコンプトンは、もし X線が粒子として伝播するとすれば、この波長変化が説明できることを示した。つまり、電子によってX線が進路を変える時、光子が電子と衝突して進路を変えたため波長が長くなったと解釈されるのである。
 それを少し詳しく説明しよう。まず、これまでに人々が知り得たことを整理しておく(中には相対性理論に関係した項目 (3)があるが、それは証明なしに使うことにする)。

  1. X線の振動数ν と波長λは光の速さ cνλ=cによって関係している(波動としての性質)。

  2. 振動数νを持つ光の量子(光子)はエネルギー hν=ch λを持つ(「光量子仮説」)。

  3. 相対性理論から分かっていることで、質量mの粒子が大きさ pの運動量を持つとき、その粒子はエネルギー <3-34>E=m 2c4+c2p2 を持つ。したがって、光子の質量は0であるとされているから、もし光子が運動量pを持つ粒子であるとするなら、そのエネルギーは E=cpである(粒子としての性質)。
この2 3を組み合わせると<3-35> E=cp==chλであるから、光を粒子(光子)と考えた時の運動量と、光を波動と考えた時の波長の間に

<3-36> (3.1.19) p=c= hλ

の関係のあることがわかる。この式は量子力学誕生前の「前期量子論」といわれた時代( 1924年)に、ド・ブロイが粒子性と波動性を結ぶ式として提唱した「ド・ブロイの関係式」に他ならない[5]。
 コンプトン効果とは、電子に向かって入射された波長λi X線が電子に方向を変えられ、波長 (λf)λiよりも長くなる、すなわち λf>λiとなる現象である。では(3.1.19)式を使ってコンプトン効果を光子の衝突として解釈してみよう。
 波長λiを持つ入射 X線は(3.1.19)式から運動量 pi=hλi を持つ光子の集まりである。そのなかの光子一個が一個の電子に衝突し、電子に運動量を与えて、それを光子の入射方向に対し角度がϕの方向にはねとばし、自らは角度が電子と同一面内で反対側にある方向に進路を変える。衝突後の光子が進行する方向を光子の入射方向に対しθ とする。光子と電子の衝突は弾性衝突であると考えられるから、「力学」で学ぶように、光子と電子のエネルギーの和と運動量の和は衝突前後で保存する。電子の質量をmとし、衝突前の電子は静止しているので運動量は 0であることに注意すると、衝突前後の電子と光子が持つエネルギーと運動量は

<3-37> (3.1.20)  衝突前の光子 運動量: pi エネルギー: cpiEi 衝突前の電子 運動量: Pi=0 エネルギー: c2Pi2+m2 c4=mc2W i 衝突後の光子 運動量: pf エネルギー: cpfEf 衝突後の電子 運動量: Pf エネルギー: c2Pf2+m2 c4Wf

である。証明すべきは、(3.1.20)式を使って衝突後のX線の波長 λfが衝突前の波長 λiより長くなる、すなわち λf>λiとなることである。
 衝突前後の光子と電子が持つ運動量ベクトルを一つの面上で表すことができる。そこで入射 X線の方向をx軸の正方向とし、それを時計の 3時の方向とした時に12 時の方向をy軸の正方向とするように (x-y)座標系を設定する。この (x-y)面に衝突前後の光子と電子が持つ運動量ベクトルを置いて、それらをx方向と y方向に分解し、(x- 成分,y-成分)の形で書くことにする。そうすると、入射X線の方向を x軸に設定したので光子が持つ運動量の y成分は0であるから、pi=( pi,0)であり、また衝突前に電子は静止していたので二つの成分はともに0であるから、 Pi=(0,0)である。さらに、(3.1.20)式の上で与えたpf Pfの方向を考えると、 <3-38>p f=(pfcosθ,-p fsinθ)、<3-39> Pf=(P fcosϕ,Pfsinϕ) である。衝突前後における光子と電子の運動量保存則はx方向と y方向でそれぞれ成り立つので、

  • 【エネルギー保存則】
    <3-40> (3.1.21)  Ei+Wi=Ef+ Wf cpi+mc2=cp f+c2Pf2+ m2c4

  • 【運動量保存則】
    <3-41> (3.1.22)  pi+Pi =pf+P f x方向:  pi=pfcosθ+P fcosϕy方向:  0=-pfsinθ+Pf sinϕ
である。光子が電子と衝突することによって光子の波長がどう変わったかを知りたいので、多少面倒であるがていねに計算して(3.1.21)式と(3.1.22)式の3式からP fϕを消去すると、

<3-42> (3.1.23) 1pf- 1pi=2mccos 2θ2

を得る。この式のpipfを(3.1.19)式を使って波長 λi λfに書き換えると

<3-43> (3.1.24) λf- λi=2hmc cos2θ2

である。この右辺は0または正の量であるから、よって必ず

<3-44> (3.1.25) λf- λi0 すなわちλfλi

となる。この式はX線が粒子(光子)として振るまえば、それが波動であると考えたときの波長((3.1.19)式)は必ずλfλ iであることを表し、したがってコンプトン効果を説明している。
 光量子仮説を用いて正しくコンプトン効果が説明されたことは「光は伝播するときは波のように振る舞い、吸収・放出されるときは粒子のように振舞う」という、二つの役割を光が使い分ける可能性を否定し、「光は伝播するときも波動と同時に粒子のように振る舞う」ことを意味した。一方、光や電磁波がまぎれもなく波動であることを示す「回折」や「干渉」の現象が存在することも否定できない事実である。これらを合わせると、「光(電磁場)は波動または粒子」ではなく「光(電磁場)は波動と同時に粒子」であると考えざるを得ない。すなわち、光は波動的あるいは粒子的な振る舞いを使い分けるのではなく、光は波動であり同時に粒子であって、状況によっていずれかの立場に立つと理解しやすいと考えるのである。しかし、自然が示す「粒子的な存在」と「波動的な存在」は古典物理学の中では相反する概念であり、「光は粒子であり同時に波動でもある」という考え方(「光の双対性」)を受け入れることには大きな抵抗があった。


【光と原子の問題】

 コンプトン効果は古典物理学で波動的な存在と考えられていた光が波動と粒子の双対性を有する事実を示唆する非常に重要な発見であった。一方、古典物理学で粒子を対象とした「物体の運動」の側からも双対性を示唆する思わぬ観測結果が現れた。それは二十世紀に入って可能になった原子スペクトルの観測から始まり、原子の安定性に関わる問題へと発展した。
 物質の構成要素としての原子は1805年にドルトンによって発見されていた。 19世紀末(1897 )にトムソンが原子から放出される電子を発見したことで、それ以上分割できないとされていた原子の内部構造が話題になり始めた[6]。「電気的に中性の原子」が「負の電荷を持つ電子」とそれを中和する「正の電荷を持つ未知の粒子」から出来ているとする多くの「原子模型」が提唱されたが、二つの理由から全ての模型が否定されなければならなかった。その理由とは

  1. 負電荷と正電荷は電気的な引力で互いに引き合うため、原子内の電子と原子内にあって正の電荷を持つ粒子は引き合って近づき、原子としての大きさを保つことができない。もし互いに円運動をして遠心力でその引力を釣り合わせようとしてもそれは不可能である。なぜなら、古典物理学の一つの柱であるマックスウェルの電磁気学にしたがえば、円運動のような加速度運動をする荷電粒子は電磁波を放射してエネルギーを失うことになっている。そのため原子のなかで円運動をする電子はエネルギーを失い、円運動の半径が次第に小さくなって短時間で正電荷に吸収され、原子は消滅する。

  2. 原子の質量に比べて電子の質量は極めて小さく(数千分の一)、したがって正電荷を持つ未知の粒子は電子の数千倍の、原子とほぼ同じ質量を持つ。質量の大きさから未知の粒子は原子と同じ程度の大きさを持つと予想され簡単に観測できるはずであるが、そのような粒子は発見されていない。
である。
 コンプトン効果の実験でX線を電子に照射したのと同じように、 1911年ラザフォードは放射性原子から放出される α線を原子に照射し、原子の内部に非常に小さく重い正の電荷を持つ粒子が存在することを発見した。上記2にある未知の粒子「原子核」の発見である。ラザフォードはただちに、原子は原子核とその周囲を回転する電子から成るとする「ラザフォードの原子模型」を提唱した。ところが上記 1の理由でラザフォードの原子は安定に存在できないため、それは容易に受け入れられなかった。
 これに対して、1913年、デンマークの物理学者ボーア(当時 28歳)は次のような仮説を提唱した。
  1. 原子(の内部にある電子)には「定常状態」と呼ばれる特別な安定状態がある。

  2. 原子はエネルギーが異なる定常状態だけを移り変わる(「遷移」する)ことができる。そして、原子がエネルギーEiを持つ定常状態からエネルギーEfを持つ定常状態に遷移するとき、原子は振動数

    <3-45> (3.1.26) ν=Ei -Efh

    の光(光子)を、もしEi>E fのときは外部に放出し、もしEi <Efのときは外部から吸収する。(【注意】「状態 Aから状態 Bへの遷移」に“物体”が場所を物理的に移動するような想像をしてはいけない。原子はなにもなければ状態Aと状態 Bがある割合で混じり合った状態にあり、 Aの混じった割合が圧倒的に大きな状態にあった原子が、何かのきっかけでBの混じった割合が圧倒的に大きな状態に変わるというのが遷移の意味である。)

 ボーアの仮説はその後に行われた多くの実験によって裏付けられた。すなわち、様々な原子に外部から特定のエネルギーを与えると、原子はそのエネルギーを吸収して高いエネルギー(Ei)を持つ定常状態を作ることが観測され、その状態にある原子が光を放出して低いエネルギー( Ef)を持つ定常状態に遷移をすることも観測されて、仮説が実験的に裏付けられた。また、遷移の際に第2の仮説が示すように原子は特徴ある波長の光を放出することも分かった。この特徴ある原子の波長模様は「原子スペクトル」と呼ばれ、いわば「原子の指紋」のようなものである。人々は原子スペクトルが簡単な規則性を持つことにすぐに気がついた。そのことを以下に説明する。
 例として、水素原子で実際に観測された規則性を再現するようバルマーが作った「水素原子スペクトルの実験公式」をあげておこう。水素原子が高いエネルギーを持つ定常状態から低いエネルギーを持つ定常状態に遷移するとき、原子が放出する光の波長 λ2つの整数(mn)を使った簡単な式

<3-46> (3.1.27) 1λ=R 1n2-1m 2,(n,m=1 ,2,,)

によって表されることにバルマーは気がついた。実際に式中のR(リュードベリ定数と呼ばれる)にR=1.097× 107m- 1の値を与えるとスペクトルの観測結果は見事に再現された。その後も多くの実験と観測がボーアの仮説を裏付けたが、原子を安定に保つ定常状態が古典物理学に反してなぜ実現するのか、また何が定常状態のエネルギーを決めるのかを理解することが大きな問題として人々の前に立ちはだかった。
 不思議なことが一つあった。1916年に古典力学の「正準方程式」をもとにして作られた定常状態を決める「ボーア=ゾンマーフェルトの量子化条件」が、なぜかボーアの仮説と矛盾しない、したがって実験と矛盾しない結果を与えるのである。さらに不思議なことは「ボーア=ゾンマーフェルトの量子化条件」にしたがって定常状態を決め、その状態を原子核の周囲を回転する電子の運動に読み換えると(実際にはそのような運動が実現しないことはすでに述べた)、その軌道の長さが常に(3.1.19)式、すなわち

<3-47> (3.1.28) p=hλ

が与える波長の整数倍になっていることであった。すなわち電子が原子内でまるで定在波のように存在するのである。原子の中で運動量 pを持つ電子は(3.1.28)式が与える波長で定在波を作る軌道にある時だけ、安定に存在できると言ってもよい。そうすると、定常状態とは「(3.1.19)式の波長で定在波ができる軌道長を持った回転運動」であるということになる。では、なぜ「(3.1.19)式の波長で定在波ができる軌道長を持った回転運動」だけが許されるのであろうか?それに答えるのが「量子力学」の役目である。

【道草】
 この章で何度か「…は証明なしに…が成り立つものとした。」という言い方をした。このような議論の進め方は現代物理学の特徴であるといってもよい。すなわち、既知の知識で説明のつかない未知の現象が現れたとき、なにがなんでもその説明を行なおうとするのではなく、

(1) 裏付けがなくてもよいからそれを説明する理屈を仮定する。

(2) その仮定をすでに知られていることに適用して矛盾がないことを確認する。

(3) その仮定を適用すると起こるであろう現象を予言し、その測定と観測をおこなう。

(4) 予言された現象の存在が確認されたら、仮定は正しかったと結論して、さらに先に進む。

(5) 真の解決はそれを繰り返し、知識がさらに蓄積されて可能になると考える。

実際にこの思考法に基づいて行なわれた現代物理学の多くの成功はこれが非常に有効な科学的方法論であることを示している。
 世の中に「似非科学」と呼ばれるものが多くあるがそれらに共通しているのは(1)だけであって、(2)以下の欠落しているのが特徴である。これを憶えておくと、似非科学に惑わされずにすむ。


[1] 後にプランク定数と呼ばれるhh2πの形で現れることが多いので、ここではそれを「エイチバー」と呼ばれる記号で表したが、教科書によってはこの記号のないことがある。その場合にはh-で「エイチバー」の代用をすることもある。

[2] たとえば可視光の範囲でもっとも振動数の大きい紫色の光であっても、その振動数は <3-48>(ν1015 /秒)程度であり、したがって の値は<3-49>=6 ×10-34[Js] ×1015[s]=6×10 -19[J]と、とても小さな値になり、(3.1.4)式の nがどれほど大きくても、日常的生活で Eの不連続性に気がつくことはないであろう。

[3] 固体の熱エネルギーの大半は格子点にある原子の振動エネルギーであるが、固体の内部には固体中を比較的自由に運動できる電子があり、その運動エネルギーは固体全体が持つエネルギーの一部を担う。しかしその割合は日常的な温度で無視してもよく、超伝導のような現象が現れる低温でなければ考えなくてもよいほど小さい。

[4] 電磁波が波動であるとすると解釈のできない現象が「コンプトン効果」以外にもあった。 X線は1895年にレントゲンによって発見されたが、それを物質に照射されると物質が電気を帯びることを多くの研究者が発見した。「電離放射」と呼ばれる現象である。実際に1898年にキュリー夫妻はこの電離作用を利用して放射線の測定を行なっている。コンプトンによって与えられたX線の粒子描像に立ったコンプトン効果の解釈は同時にこの電離作用も説明する。

[5] コンプトン効果を示すX線が結晶格子で波動特有の現象である回折を示すことはコンプトン効果に11年先立つ 1912年にドイツの物理学者ラウエによって検証されていた。ラウエはこの功績によって1914年のノーベル賞を受賞している。

[6] 「原子」はギリシャ語で「分割不可能」を意味する言葉であり、それよりも小さな存在がない物質を表すために名付けられたことから、“原子の内部構造”を考えることには大きな抵抗があった。