量子力学を使って振る舞いを理解しなければならない物理系(量子系)は大きく分けて四つある。
<5-1> (5.0.1)
で与えられる。いうまでもなく右辺のは運動量演算子であって、その右側に関数 がくれば、それに対して
<5-2> (5.0.2)
の演算を行う。またに対するの演算は単なる掛け算である。
この量子系の波動関数はシュレディンガー方程式
<5-3> (5.0.3)
を満足する。の微分が偏微分になっているのは、 が二つの変数(と)を持っているためで、一方の微分を計算するときには他方を一定に保つことを意味する。
関数
<5-4> (5.1.1)
は定数と関数がある条件を満たせばシュレデインガー方程式((5.0.3)式)の解になる。関数のこの形が(5.0.3)式の解になることを示し、その解を求めることもできるが、ここではそれが求められたとしよう。とが満足する条件を求めるため、(5.1.1)式を(5.0.3)式に代入する。そのときに必要な微分は
<5-5>
である。ここで、関数はとの変数を持つが、関数はの変数しか持たない違いに十分注意せよ。
(5.1.1)式を(5.0.3)式に代入し、余分な指数関数を除くため両辺にをかけると、とが
<5-6> (5.1.2)
を満足すればよいことがわかる。この方程式が与えると を持つ(5.1.1)式の波動関数によって表される量子状態を「定常状態」という。すなわち
(5.1.2)式を満足するとを持つ(5.1.1)式のは「時間に依存するシュレディンガー方程式」((5.0.3)式)の 一つの解であり、「定常状態」にある量子状態を表す。「定常状態」の意味はすぐに与える。
上で(5.1.1)式を(5.0.3)式の一つの解としたのは、後に分かるように、(5.1.2)式を満足するとを用いて(5.0.3)式の解を無数に作ることができるからである。(5.1.2)式の方程式は「時間に依存しないシュレディンガー方程式」とよばれ、ふつう「シュレディンガー方程式」と呼ばれる方程式はこの方程式を指すことが多い。
「時間に依存しないシュレディンガー方程式」はに対する二階の微分方程式であるから、を与え、を解いた時に現れる積分定数を決める条件を与えて(5.1.2)式を解きさえすればよいように思えるが、そうは簡単にいかない。(5.1.2)式にはこれまで知っている微分方程式と大きく異なる特徴がある。
すなわち(5.1.2)式の方程式をあるがままに読むと、それは「で二度微分してから定係数をかけたと、
に
をかけた
つの項を加えたものが求めようとしている関数の定数倍になる、そのような
を求めよ」という方程式である。最後にある「求めようとする関数に対する演算がその関数の定数倍になる」形の解を要求する方程式を「固有値方程式」、それを満たす関数を「固有関数」、そのときの定数((5.1.2)式の)を「固有値」という。そして(5.1.2)式を解いて固有値と固有関数を求める問題を「固有値問題」という。
(5.1.2)式は微分方程式でもあるので、方程式にはいま考えている物理系を正しく表すように条件が課される。今の場合は「系は直線上の限られた領域にあり、無限にひろがっていない」ことが条件であり、これを「境界条件」と呼ぶ。そしてそれを満足するように微分方程式を解いて固有値と固有関数を求めなければならない。
つまり、(5.1.2)式を解く(固有値問題を解く)ときには、二つの作業を同時に行なわなければならない:
<5-7> (5.1.3)
であり、は を含まない。すなわち確率密度は時間が変わっても変わらず一定である。そうすると だから、(4.3.7)式の連続方程式から
<5-8> (5.1.4)
となる。発散は、ある点から単位時間に流れ出る粒子数と流れ込む粒子数の差であったから、(5.1.4)式は考えている領域の任意の点で、そこに流れ込んだ粒子が全て流れ出ていることを表している。「流体力学」や「電磁気学」ではこのような流れを「定常流」と呼ぶので、ここでもそのような量子系を表す状態を「定常状態」と呼ぶのである。(「電磁気学」では、電荷を持った粒子の定常流を「定常電流」という)。まとめると、量子力学の定常状態は以下の三つの特徴を持つ:
定常状態を具体的に定めるためには(5.1.2)式の固有値方程式を解かなければならない。そのために固有値方程式について知らなければならない重要なことがいくつかある。(5.1.2)式は波動関数の空間変数を含む部分に対する線型微分方程式でもある。いま(5.1.2)式を
<5-9> (5.2.1)
と書く。 は演算子であって、にその演算を具体的に施すと
<5-10> (5.2.2)
を与える。もし(5.2.1)式の書き方が理解しにくければ(5.1.2)式のまま扱ってよい。
(5.2.1)式を固有値方程式と呼ぶ理由は、それが世紀初頭に精力的に研究された「線形代数学の固有値方程式」
<5-11> (5.2.3)
と同じ形をしているからである。ここで、は行数が
、列数がの行列(すなわち正方行列)であり、
は行数が、列数がの列ベクトル(すなわち
列ベクトル)である。(5.2.3)式は、「正方ベクトルに
列ベクトル
をかけると、かけた結果の
列ベクトルは
の定数倍になる」という式であり、与えられた
に対して(5.2.3)式を満足すると定数のを求める問題を「固有値問題」という。(5.2.3)式の固有値方程式のを「固有ベクトル」、を「固有値」というのにならって、(5.2.1)式の
を「固有関数(固有状態)」、を「固有値」という。
「微分方程式でもあるシュレディンガー方程式を解くときに境界条件を課す」と書いた。たとえば量子系が原子であって、我々が波動関数によって原子を作る原子核と電子を表したいときには、原子はある拡がりをもって空間に存在するので、波動関数は限られた領域内でのみ値を持ち遠方で
になるような境界条件を課す。本章の固有関数に対しても「直線 上の限られた領域にある」という境界条件が課されている。そのような境界条件の下にシュレディンガー方程式を解くと、限られた固有値だけしか境界条件を満足しないことがわかる。いいかえると、境界条件のために固有値が制限され、選ばれた不連続な値だけが許されることになる。
この対極にあり、量子系が限られた領域にとどまらない量子系がある。すなわち、最近話題になる素粒子の衝突実験や、結晶構造を調べるために使われる電子顕微鏡の電子のような量子系は原子と逆の境界条件を持つ。衝突実験や電子顕微鏡では離れた所から標的(結晶)に撃ちこんで散乱され飛び散った粒子を遠方で測定することによって標的の情報を得る。そのような場合には、標的となる粒子と撃ち込む粒子が衝突の前後で遠く離れて存在する状態を表す波動関数が必要になる。シュレディンガー方程式を解く時に波動関数に課す境界条件もそれを表す条件でなければならない。この教科書では波動関数に課す境界条件としては限られた空間に量子系が存在する場合だけを考える。粒子が遠く離れて存在する境界条件を課して固有関数や波動関数を求めることは数学的にかなり面倒な手続きが必要で、この教科書で量子力学の基礎を学んだ後でそれぞれが将来の目的に合わせて学習をしてほしい。
古典力学のハミルトニアンは、それに含まれる座標と運動量
がニュートンの運動方程式あるいは正準方程式の解であれば、時間が変わっても変わらない系のエネルギーを表した。量子力学ではその役割をハミルトニアンの期待値がはたす。そして定常状態では、ある量子状態におけるハミルトニアンの期待値は、その状態に対するハミルトニアンの固有値に等しくなる。すなわち
・固有値方程式((5.2.1)式)の固有値は定常状態におけるハミルトニアン の期待値に等しく、時間が変わっても変わらない量子系のエネルギーを表す。
このことを以下で確かめる。
いま、定常状態を表す波動関数が(5.1.1)式のように固有値方程式の解である固有関数を一部に含み、区間で規格化されているとする。(波動関数が値を持つ実際の区間はもっと狭いかもしれないが、そのときは区間の外で波動関数がになるから、規格化を行なう空間を無限にしておけば十分である。)すなわち
<5-12> (5.2.4)
とする。
定常状態におけるハミルトニアン((5.0.1)式)の期待値をとすると
<5-13> (5.2.5)
となり、は固有値で時間が変わっても変わらないから一定、したがって
の期待値は時間によらず一定である。このことから固有値を「エネルギー固有値」ともいう。
上の計算で一つのことに気がついたかもしれない。これまで物理量の期待値を「時間に依存するシュレディンガー方程式」の解を使ってとしてきたが、もしが時間微分を含まなければ、規格化されたを使って期待値を
と計算しても同じ結果が得られる。今後現れる物理量はすべて時間微分を含まないと考え、期待値を計算するときは規格化されたを使うことにする。
前章でエルミート演算子の期待値は実数であることを示した。さらに(5.2.5)式で、ハミルトニアンの定常状態における期待値は、その定常状態を表す固有状態の固有値に等しいことを示した。ゆえに、ハミルトニアンがエルミート演算子であれば、どの固有状態においてもその固有値
は実数である。このことは一般のエルミート演算子の固有値についても成り立ち、固有値方程式に関する一つの定理となっている。すなわち
【定理】 エルミート演算子の固有値は必ず実数である。
(5.2.1)式を満足する固有関数と固有値は一般に複数個存在する。もし固有関数の持つ変数が今の場合のように一個
であるときは、異なる固有関数の固有値はすべて異なる。平面や空間に存在する粒子の場合は固有関数がつ以上の変数を持つが、そのときはいくつかの固有関数がつの固有値を共有することがある(これを、
「つの固有値を共有する固有関数の表す量子状態が『縮退』している」という。今の場合は変数がつなので、そのような場合を考える必要はない。)
いま(5.2.1)式が個の固有値を持つとし、その
番目の固有値を、その固有値を持つ固有関数をとする。このとき固有値方程式(5.2.1)式は
<5-14> (5.2.6)
である。異なる量子状態と異なる固有値を区別するこの指標を「量子数」という。
複数の固有関数と固有値が存在する場合に、固有関数が有する非常に重要な性質がある。いま量子数が異なり、したがって固有値の異なる
組の固有値と固有関数をと
とする。すなわち、
<5-15> (5.2.7)
とする。この第二の式をその複素共役で置き換えるのであるが、このとき、以前に与えた注意をもう一度思い出しておく。それは
【注意】
演算子を関数に演算した結果のは一つの関数である。したがって
このことに気をつけて(5.2.7)式の第二式の複素共役を作る。固有値が実数であるから、右辺の複素共役はである。したがって
<5-16> (5.2.8)
となる。
この第一の式にをかけてで積分した式から、第二の式に
をかけて
で積分した式を辺々引き算すると
<5-17>
を得る。左辺第二項目の積分のなかにある関数、との位置を入れ替え、右辺では定数の と を積分の外に出すと、この式は
<5-18>
となる。次に左辺の二項目をエルミート共役演算子を作る定義(4.5.10)式を使って書き換え、がエルミート演算子であることを使うと、上式の左辺は
<5-19>
であるから、したがって
<5-20>
を得る。今とは異なり、したがってと は異なるとしているから、 のときは必ず
<5-21>
となる。二つの固有関数を含む左辺のような形を持つ積分をとの「重なり積分」とよぶ。したがって「異なる固有値を持つ固有関数の重なり積分は である」ということになる。固有関数を常に
<5-22> (5.2.9)
にしたがって規格化すると約束をしておけば、これら二つの場合をまとめて、
・二つの固有関数が同じ固有値を持てばそれらの重なり積分は であり、 異なる固有値を持てばそれらの重なり積分はになる。これを式で表せば
<5-23> (5.2.10)
である。右辺のは、第一章の【演習】および第 章(4.5.9)式で定義した「クロネッカーのデルタ記号」である。
このように、異なる固有値を持つ固有関数の重なり積分がになることを二つの直交するベクトルの内積がであるのになぞらえて、「異なる固有値を持つ
と
は
直交する」ともいい、固有関数の規格化を含めた(5.2.10)式を「固有関数の規格直交関係」という。
ここで、エネルギー固有値に関して知っていると便利な定理の証明を行っておく。その定理は
【定理】
もし、考えている領域でポテンシャル関数に最小値(とする)が存在すれば、その量子系のエネルギー固有値はより小さくなることはない。
である。これは次のように証明される。
【証明】
固有値を持つ固有関数
が満足するシュレディンガー方程式は
<5-24> (5.2.11)
である。固有関数は規格化されており、また異なる固有値を持つ固有関数は直交する、すなわち固有関数は(5.2.10)式の「規格直交関係」を満足しているとする。(5.2.11)式の両辺にをかけで積分を行い、右辺に規格直交関係を使うと
<5-25>
となる。粒子が存在する領域の外では粒子の存在割合を決める波動関数はでなければならない。粒子が存在する領域から存在しない領域へ波動関数の値は連続に変化しなければならないので、二つの領域の境界(今の場合は )で波動関数は 、すなわちでなければならない。上式の左辺第一項目に対して部分積分を行い、および と書くと、左辺第一項目は
<5-26>
と書き換えられる。最後に現れた、必ず正であるをさらに積分した結果は必ず でない正の値を与える。(この積分が になるのはがいたる所でになる以外になく、粒子が存在する以上そのようなことはない)。さらに、どのようなに対しても は より小さくなることはないから、したがって は
<5-27>
となり、よって全ての固有値はポテンシャル関数の最小値より大きいことがわかる。最後の式は固有関数の規格化(5.2.10)式による。この証明の過程で、上式の第一項目が「でない正の値になる」ことを証明したが、積分の前にある“-”符号で積分が負になると早やとちりしてはいけない。
【証明終わり】
の固有関数を使って「時間に依存するシュレディンガー方程式((5.0.3)式)」を満足する波動関数を一般的に次のように表すことができる。
<5-28> (5.2.12)
これは「物理数学」の「第五章積分と関数の変換」にある「完全系による展開」の一つの例でもある。すなわち、ハミルトニアンの固有関数は完全系を形成し、それを使ってどのような関数でも表すことができる。(5.2.12)式は「時間に依存するシュレディンガー方程式」を満足する波動関数をハミルトニアンの固有関数が形成する完全系を使って展開したと考えてもよい。「時間に依存するシュレディンガー方程式」が微分方程式として代数的に解ける場合はほとんどなく、波動関数は(5.2.12)式の形で与えられることが多い。このとき、波動関数が反映していないといけない物理系の条件は以下に示すように、その展開係数を適切に与えることによってもたらされる。言い方を変えれば、考えている系のハミルトニアンの固有関数が作る完全系を使って波動関数の展開を行なったのは、以下に示すように、その展開係数に明確かつ重要な物理的な意味が与えられるからである。
(5.2.12)式で「時間に依存するシュレディンガー方程式」を満足する波動関数を与える時、は考えている量子系を表現するよう我々が与えなければならない複素定数であり、その与え方によってどのような量子系の状態でも表すことができる。別な言い方をすれば、一組のが与えられると一つの量子状態が指定される。
それを説明する前に、(5.2.12)式のが確かに「時間に依存するシュレディンガー方程式((5.0.3)式)」の解になっていることを証明しておく。(5.2.12)式の
を「時間に依存するシュレディンガー方程式((5.0.3)式)」の左辺に代入すると、左辺は
<5-29>
となる。一方、(5.0.3)式の右辺にあるは に関する微分しか含んでいないので、 に対するその演算はのなかのだけにしか影響しない。したがって(5.0.3)式の右辺は
<5-30>
となって左辺の計算結果と一致する。よって(5.2.12)式のは確かに「時間に依存するシュレディンガー方程式」を満足していることがわかる。
さて、(5.2.12)式の展開係数が持つ物理的な意味を説明しよう。もしが確率解釈のできる波動関数であれば、それを規格化することができる。規格化は
に対して
<5-31> (5.2.13)
を要求する。この式に(5.2.12)式のを代入すると、展開係数は積分に関係しないから、
<5-32>
となる。最後の積分はとの重なり積分であるから、(5.2.10)式より(すなわち、等しい固有値を持つ固有関数の重なりであればで、異なる固有値を持つ固有関数のかさなりであれば)に等しい。したがって上式で の値を一つ固定しての和を実行したとすると、が に一致する値を持つ項の積分はで、それ以外の項はになるから、
<5-33>
となる。すなわち、ハミルトニアンの固有関数で展開された波動関数の規格化はこの左辺をとするよう係数を与えることで、それは展開係数に対して条件
<5-34> (5.2.14)
を要求することに等しい。
したがって(5.2.12)式の規格化された波動関数で一つの量子状態を表わそうとするときは、(5.2.14)式の条件を満足するように
を与えなければならない。
【道草】
時間に依存するシュレディンガー方程式を満足する波動関数を求める問題は、結局はそのハミルトニアンに対する固有関数と固有値を求める問題に帰着する。これが多くの教科書で「固有値方程式の解法は量子力学を学ぶために必要な数学」と言われる理由である。また、行列の知識なしに固有値方程式とその解法を学ぶことはできない。それが「量子力学を学ぶときには行列の知識が必要である」という理由である。
「時間に依存しないシュレディンガー方程式」の一般解((5.2.12)式)の係数が持つ意味と同時に、量子力学が意味する最も重要な「確率の意味」を学ぼう。いま「一組のを与え、その係数を持つ(5.2.12)式の波動関数によって特定の量子状態を決めた」とする。その波動関数によって表された量子状態におけるエネルギー期待値
<5-35> (5.2.15)
を調べる。これに(5.2.12)式のを代入して、積分に関係のない部分を積分の外に出すと、この式は
<5-36> (5.2.16)
となる。最後の積分の中にあるにその固有値方程式((5.2.6)式)を用いてから積分を実行し、(5.2.10)式の規格直交関係を使うと、
<5-37> (5.2.17)
を得る。この結果と(5.2.14)式の<5-38>を重ねて考えると、 「は一連のエネルギー がそれぞれ確率で分布している集合の平均エネルギーを与えている」ことがわかる。したがって期待値を与える 「状態はエネルギー固有値を持つ定常状態が確率 で分布している状態である」といえる。「一組のが与えられる一つの量子状態が指定される」と書いたが、したがってこのことは
時間に依存するシュレディンガー方程式の一般解は様々なエネルギー固有値を持った定常状態が混ざり合った状態を表し、「一組の を与えを決める」ことは、その状態に定常状態がどのような割合で混ざっているかを指定することである。
と言うことができる。
のなかに定常状態
が混ざっている確率
を与える
のことを「確率振幅」という。先に
が与えられているときには、そのなかにある定常状態の確率振幅を次のようにして求めることができる。(5.2.12)式の両辺にをかけて積分すると
<5-39>
であるから、この両辺にをかけるとは
<5-40> (5.2.18)
である。定常状態が のなかにある確率はこのの絶対値で決まる。右辺の積分記号の前にある大きさがの指数関数はを作った時に現れないので、この因子はあってもなくても同じである。そのため、この指数関数を除いた <5-41>を確率振幅とよぶ教科書もある。
§3. 定常状態の例:一次元井戸に閉じ込められた粒子
定常状態を求める時には固有値問題を数学的に解かなければならないことがわかった。実は、シュレディンガー方程式((5.2.11)式)にポテンシャル・エネルギーを表す関数が含まれるため、固有値問題が簡単に解ける例はそれほど多くない。そのため、量子力学の入門段階を学ぶ学生に定常状態の具体例を示すことはなかなか難しいが、それが簡単に求まる量子系がいくつかある。その一つに、ある状況におかれた粒子を近似的に表す「無限井戸に閉じ込められた粒子」とよばれる物理系がある。ここではその固有値問題を解くことによって固有値の決まり方を示す。
ある領域から粒子を取り出すのにとても大きなエネルギーが必要で、粒子を取り出すことが非常にむずかしい物理系が自然界に多くある。そのような環境にある粒子の状態を知るために、その領域の外部にある粒子に人為的にのポテンシャル・エネルギーを粒子に与えるか、あるいは領域の内部にある粒子に
のポテンシャル・エネルギーを与えることによって、その領域から粒子が取り出せない状況を作る。この状況が無限に深い井戸の内部に粒子を閉じ込めた状況と似ているので、このようなポテンシャル・エネルギーを「無限に深い井戸型のポテンシャル」とよぶ。
このポテンシャル・エネルギーを持つ量子系の固有値問題が少し変わったやり方ではあるが簡単に解けるため、粒子を取り出すのが非常にむずかしい量子系の特徴を知ると同時に、固有値問題の練習に用いられる。ここでは直線軸上のある領域で「無限に深い井戸型ポテンシャル」を持つ量子系の固有値と固有関数を具体的に求め、前章で学んだ種々の事柄を具体的に示し、固有関数を使っていくつかの演習を行うことにする。
最初に「無限に深い井戸型ポテンシャル」を持つ量子系を数学的に与える。領域外部にある粒子に
のポテンシャル・エネルギーを与えることと、領域内部にある粒子にのポテンシャル・エネルギーを与えることは、ポテンシャル・エネルギーがない領域を井戸の内外どちらにするかが違うだけで、結果は同じになる。ここでは井戸の幅をとして、粒子がその外部にあるときにのエネルギーを与えることにし、
<5-42> (5.3.1)
とする。
(5.3.1)式の無限に深い一次元井戸に閉じ込められた粒子の定常状態は固有値方程式
<5-43> (5.3.2)
によって決定される。しかしこれをの領域で代数的に解こうとすると難しい問題が出てくる。それは、(5.2.2)式を
<5-44>と書くとわかるように、
の値が
と
で突然変化するため関数の二階微分もそこで突然変わり、任意のについて解かなければならない微分方程式が代数的に処理できないからである。
そこで、領域をいくつかに分けて(5.3.2)式を解いてを求め、それに
【固有関数が満たすべき条件】 固有関数は全領域で一価連続かつ滑らかでなければならない。
という条件を課して、固有値と固有関数を決定する。これは固有関数に対して上の要求があるからできることである。
さて実際にそれを実行して(5.3.2)式を解くことにする。
【(5.3.2)式の解】
(5.3.1)式のポテンシャル関数がを持つ領域では(5.3.2)式を代数的に解くことができる。その領域で方程式は
<5-45> (5.3.3)
である。または
には粒子が存在しないので(5.1.3)式の確率密度は<5-46>でなければならないからでなければならない。したがって、ポテンシャルが存在する領域との境界で固有関数が連続であるためには
<5-47>でなければならない。
ここで前節のポテンシャルに最小値があるときの定理を思い出す。すなわち、「今考えている系にはポテンシャル関数の最小値
が存在するので、エネルギー固有値は
より小さくなることはない」。したがって必ず
である。これを頭において(5.3.3)式を代数的に解く。
まず(5.3.3)式の両辺にをかけて方程式を変形する。負にならない
を使って正の実数
を
<5-48> (5.3.4)
によって定義すると、(5.3.3)式は
<5-49> (5.3.5)
と書き換えられる。
この微分方程式の解は「物理数学入門」で与えたが、それを知らなくても(5.3.5)式をていねいに“読め”ば解は容易にわかる。すなわち(5.3.5)式は、「関数をで二度微分を実行すると、同じ関数が符号を変え定数倍されて現れるような関数を求めよ」という方程式である。我々はで二度微分を実行すると符号を変える関数を知っている。それは三角関数の
あるいは
である:
<5-50> (5.3.6)
これが(5.3.5)式と違うのは、微分をする前の関数が現れるときに関数が倍されていることである。で二度微分を実行して元の関数が倍されるのであるから、一回の微分で 倍されると考えると、とを少し変えて、
<5-51> (5.3.7)
とすればよいことがわかる。したがって、粒子の存在しない領域も含めて、(5.3.2)式の解は
<5-52> (5.3.8)
である。
このようにの領域ではか
のいずれかが我々の求める解であるが、その解は領域の境界で領域外の固有関数につながらなければならない。ところがはあきらかに境界の一つでにならないから求める解ではなく、我々が考えている条件に適合する解はでになるである。すなわち、
<5-53> (5.3.9)
である。ここで、方程式が線型であるため、一つの解に任意の定数をかけても解であることを考慮して
に複素定数
をかけた。数学的には、(5.3.5)式が二階の微分方程式であるため、未定の積分定数が個あるはずであるが、その
個をすでに決めたことに気づかなかったかもしれない。その
個は(5.3.8)式の領域にある解、
または
のどちらの関数を選ぶかに対応していた。
領域の固有関数は領域のもう一方の境界で領域外の固有関数
につながらなければならない。すなわちである。そのためには、任意の整数をとするとき
であるから、
<5-54> (5.3.10)
でなければならない。数学ならおよび負の
でもであるが、ここでを正の整数としたのは、(5.3.4)式でとしたことによる。(は(5.3.8)式の固有関数をいたるところでにしてしまい、粒子が必ずどこかにある条件に合わない)。
(5.3.10)式は固有関数のなかにあるが勝手な値を持つことが許されず、
<5-55> (5.3.11)
でなければならないことを示している。ここで、異なるを持つ を区別するために添え字をつけとした。はこの系のエネルギー固有値と(5.3.4)式によって結ばれているので、この の不連続性はエネルギー固有値が勝手な値を取ることができないことを意味している。実際に(5.3.4)式から
<5-56> (5.3.12)
である。
固有関数は(5.3.9)式で与えられるが、その中に(5.3.11)式で与えられるを含むので、固有関数も異なるによって異なる。したがってそれを改めて
<5-57> (5.3.13)
と書く。
いまだ決まっていないはこの固有関数を規格化することによって決定される。すなわち、に対して(5.2.10)式による規格化を実行する。係数が複素数であることに注意すると、
から
<5-58>であることを頭に置いて規格化を実行すると、
<5-59>
となるので、よってとすれば良いことがわかる。しかしこれだけではの符号が決まらないが、波動関数や固有関数は期待値の計算あるいは規格化に常に複素共役との対で現れ、そこには係数 は必ずの形でしか現れない。したがってだけを決めておけば十分で、それをもってとしてもよい。よって
<5-60> (5.3.14)
とする[1]。以下に、この物理系(「無限に深い一次元井戸に閉じ込められた粒子」)の固有値と、規格化された固有関数をまとめて与えておく。
<5-61> (5.3.15)
である。ただしは自然数の値のどれかである。エネルギーが<5-62>を単位にして、<5-63>と高くなるにしたがって、その間隔が次第に拡がっていくのがこの量子系の固有エネルギーが示す特徴である。
この固有関数を使って「時間に依存するシュレディンガー方程式」の一般解である波動関数を(5.2.12)式の形で
<5-64> (5.3.16)
と与えることができる。係数は の規格化条件である(5.2.14)式に対応して
<5-65> (5.3.17)
を満足しなければならない。固有関数が値を持つ領域に対応して、この波動関数が値を持つのはの領域である。そこでの波動関数は
<5-66> (5.3.18)
である。
この簡単な系は量子力学系が持つ最も重要な二つの特徴を我々に教えてくれる。第一の特徴は
① エネルギーの最も低い値がでない値を持っている。
ことである。(5.3.1)式で与えたように、この量子系のポテンシャル・エネルギーは粒子が存在する区間では である。もし古典力学で
この系の最も低いエネルギーと、そのときの粒子の運動状態は?
と聞かれたとする。その答えは
系の最もエネルギーの低い状態は粒子が区間のどこかに静止した状態で、したがって粒子は運動エネルギーを持たずポテンシャル・エネルギーも であるから、粒子の全エネルギーは である
ということになる。ところが量子力学系で粒子が持つ最も低いエネルギーは(5.3.12)式のを持つエネルギー<5-67>であって、ポテンシャル・エネルギーがであっても系のエネルギーはではない。ポテンシャル・エネルギーが であるから、そのすべては粒子の運動エネルギーであり、したがって最も低いエネルギーを持つ状態であっても粒子は静止していないことが分かる。多少面倒であるがきちんとした議論をおこなうと、
自然界にある物理系は静止することはない
ことを証明することができる。この「無限に深い一次元の井戸に閉じ込められた粒子」の例はそれを具体的に教えてくれる。
第二の特徴は、(5.3.12)式から分かるように、
② 量子力学系ではエネルギー固有値が離散化され、古典物理学のように連続で勝手な値を持つことができない
ことである。エネルギー固有値を通じ他の物理量にも現れるこの離散化は「量子化」という言葉で表現される。「量子力学」が提唱されたとき、物理量の量子化は物理量が連続な値を持つ「古典力学」の“常識”に慣れた人々を非常に驚かせた。
【道草】
物理量の連続な値に慣れ親しんだ人々はこの不連続性を初めて知ったときは驚いたが、その後に、物理量は不連続な値を持つことが当たり前で、我々がその不連続性を感知するほど極微な世界に関わらない限り、我々はその不連続性を認識できないことを知った。今では社会科学の分野でも、連続した現象がなんらかの意味で不連続に起きることがわかると、それを「量子化」という言葉で表現している。
が表す意味の理解と、「『時間に依存するシュレディンガー方程式』を満足する波動関数の固有関数による展開((5.2.12)式)」、「波動関数が表す量子状態におけるエネルギー期待値((5.2.17)式)」、「確率振幅((5.2.18)式)」の理解をさらに深めるために以下の演習を行う。
【演習】
質量の粒子が(5.3.1)式のポテンシャル関数を持つ、無限に深い井戸に閉じ込められている量子系を考える。その系の波動関数は(5.3.17)式で与えられる。いま(5.3.18)式のに一組の特別な値を与へたとき、波動関数がを含まずに
<5-68>
という簡単な形になったとする。横軸をとして のグラフを描くと、グラフは高さが、幅がの長方形になる。この波動関数は
<5-69>
であるから規格化されている。この波動関数に関して以下の問に答えよ:
【問】 (5.3.16)式で与えられる定常状態のうち、(5.3.15)式の
とがどのくらいの割合でこの状態に含まれているか。
【解】 に含まれる状態の確率振幅を とすれば、それは(5.2.18)式にしたがって
<5-70>
のように与えられる。このに(5.3.15)式の固有関数を代入するとは
<5-71>
である。これを計算するが、と置き換えると、であり、は 、はに対応するから、 は
<5-72>
となる。これは簡単に積分ができて
<5-73>
が得られる。定常状態が に含まれている割合は で与えられるから、
<5-74>
である。このは (5.3.17)式を満足し、したがって与えられた波動関数の規格化条件を満足していなければならない。が
とみなせるほど大きい場合には、もし
<5-75> であることを知っていれば、上で得たが規格化条件である(5.3.17)式を満足していることは理解できるであろう。ここで
は内の
をと奇数に限って
まで加えることを意味する[2]。
この最初のいくつかの定常状態が含まれる割合をで与えると、
<5-76> であり、与えられた
は最初の数個の定常状態だけで作られていることがわかる。
このように、あるハミルトニアンを持つ量子系の波動関数が適当な方法で与えられたとすると、それにハミルトニアンの固有状態がどのような割合で含まれているか、いつでも計算することができる。逆に、(5.3.17)式を満足するようにハミルトニアンの固有状態を適当に混ぜた関数を作ると、それは系の一つの状態を表す。
以上で「量子力学」に関する最低限必要な知識を与えた。様々な専門分野で「量子力学」を使うためには、それぞれの分野に応じて必要となることがさらにある。それは多岐にわたり一冊の教科書に網羅することはとても出来ない。これ以上は各自の専門に相応しい教科書や授業で学んでほしい。
[1] 規格化によって定まる定数の複素数性が特殊な環境下で重要な役割を果たすことがある。これはアハラノフとボームによって半世紀以上も前に予言されたが、それを実験で検証したのは前章で名前をあげた外村彰で、 年のことである。
[2] はを に置き換えて、 をこれまでのようにから順にまで加えても同じことである。すなわちこの和を と書くこともできる。