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第二章 統計力学

§1. 「熱力学」と「統計力学」

 本シリーズ「熱力学入門」の第二章「『熱力学』と『統計力学』」で、ともに多数の粒子から構成される物理系(多粒子系)の性質を扱う物理学である「熱力学」と「統計力学」の関係を説明した。それをここで簡潔にして再掲しておこう。
 180万年前に地球上に現れ氷河期を生き抜いた人類はすでにそのときから彼等を取り巻く自然環境を意識していたに違いない。しかしそれはまだ科学の形をなしたものではなかった。古代ギリシャのエンペドクレス(紀元前 490430年頃)は「万物は火・空・水・地の四元素から成る」とする説を唱え、人間と自然環境のかかわりをより基本的な存在から理解しようとした。当時の人々は「火・空・水・地」に関係した自然環境を様々な手法を使って観察し、それから得た知識を日々の生活に利用していたに違いない。今我々が「熱力学」という言葉で表す自然科学の原形がそこにあった。
 「熱力学」が自然科学の一分野となるきっかけはゲーリケが作成した世界初の真空ポンプの登場 (1650)である。それを契機に真空ポンプを利用した気体の研究が始まり、カルノーが熱機関に関する研究成果を世に出したのは1824年である。これが科学としての「熱力学」の誕生である。そして「熱力学の第一法則」、「熱力学の第二法則」と呼ばれる法則が確立されたのは、それから 30年後の1850年代であった。
 我々を取り巻く自然環境を対象にした「熱力学」は18世紀の産業革命により刺激され急速に発展した。その成り立ちから理解できるように、「熱力学」は我々が暮らす環境程度の拡がりを持つ物理系を対象とするが、それを構成要素である原子や分子の力学的振る舞いから理解しようとするのが「統計力学」である。「統計力学」の基礎は「熱力学」が完成した 19世紀半ばにマックスウェル、ボルツマン、プランク、クラウジウス、ギブスといった人たちによって築かれた。この巻では「熱力学」を学び、「統計力学」はひき続く巻で学ぶことにする[1]。
 繰り返しになるが、「熱力学」は我々を取り巻く自然環境にある巨視的な物理系の温度、圧力、体積といった量の間に成り立つ関係を問題にする物理学の一分野である。ただし対象として考えている系は温度Tの熱浴とエネルギーのやり取りや粒子のやり取りを終えて一定時間放置され、温度が熱浴と同じTとなったものとする。そのような物理系は「熱力学的平衡状態」にあるという。温度や圧力は熱力学的平衡状態にある物理系に対してのみ意味を持つ。「熱力学的平衡状態」に対し、現在エネルギーのやり取りを行っている物理系や物質の出入りがある物理系、あるいは、エネルギーや物質の出入りがなくなった直後でまだ熱力学的平衡状態にない物理系の状態を「熱力学的非平衡状態」と呼ぶ。「非平衡状態」にある物理系はエネルギーや物質の出入りを遮断して、一般にある時間が経過すると「熱平衡状態」に達する。この時間を「緩和時間」といい、「非平衡状態」が「熱平衡状態」に達する途中の過程を「緩和過程」と呼ぶ。
 このように、多数の粒子を含むどのような物理系もエネルギーや物質が与えられて生まれたときは「非平衡状態」にあり、時の経過とともに平衡状態に達する。「統計力学」には、非平衡状態にある物理系の緩和過程を構成粒子の運動から理解しようとする「非平衡状態の統計力学」と、平衡状態に達した後の系の状態を構成粒子の運動という観点から理解しようとする「平衡状態の統計力学」がある。ここで学ぶ「統計力学」は「熱力学」の基礎付けを目的とした「平衡状態の統計力学」であり、ここではそれ以上の展開まで立ち入らない。非平衡状態の扱いを含めた「統計力学」を物理学の一手段として使うためには、ここでの学習を基礎に、各自が専門として学ぶ分野に適切な教科書でさらに学ぶ必要があることを先に断っておく。
 以下で「希薄な気体」という言葉がしばしば現われるので、本論に入る前にその意味をここで正しく理解しておく。一般に二つの分子は 1億分の1 cm程度離れると力を及ぼし合わない。たとえば、地球大気中の1 cm3には約3× 1019個の様々な分子があり、分子は互いに100万分の1cm程度離れて存在している。月に向かうロケットに乗って地球の大気圏から少し離れ、地球と月の中間に来たとすると、そこには1 cm35個程度の分子しか存在しないほど空間にある分子の数は少なくなる。分子は地球大気中の100倍程度も遠く離れて存在するため分子同士には力が働かない。したがって大気圏外で分子は力を受けずに運動していると考えてよい。このように力を及ぼし合わずに運動する分子から成る気体を「希薄な気体」と呼ぶ。


§2. マックスウェルの速度分布
 英国の物理学者ジェームズ・マックスウェルは電磁気学における最も重要な基礎方程式である「マックスウェルの方程式」を導いて電磁気学を確立し、それをもとに電磁波の存在を予言した偉大な物理学者の一人とされているが、統計力学においても重要な業績を多く残している。その中でも、 1860年に彼が提唱した、希薄な気体を構成する分子の速度を与えた「マックスウェルの速度分布則」はその後の「統計力学」を先導したことで特に重要である。
 以下で「マックスウェルの速度分布則」を学ぶが、そこでしばしば現れる重要な積分がいくつかある。「ガウス積分」(「物理数学」120ページ(2.1.31)式参照)を利用して、それらに対する積分公式を先に与えておく。ガウス積分とは「物理数学」120ページ(2.1.31)式に与えらた積分

<2-1> (2.2.1) -∞e -x2dx=π

である。これを使って、最初にxとは関係ない正の数 aを持つ関数e -ax2に対する定積分の公式

<2-2> (2.2.2) -∞e -ax2dx=πa

を証明する。まず、この式の左辺で積分変数xを <2-3>(x=x' a)によってx' に置き換える。そうすると<2-4>(dx= 1adx')であり、 <2-5>(x'(=ax ))が変わる範囲はxと同じ (-∞x')であるから、(2.2.2)式左辺の積分は

<2-6> -∞e -ax2dx=1a -∞e-x'2 dx'

と書き換えられる。このx'に関する積分は(2.2.1)式より πであるから、ゆえに

<2-7> -∞e -ax2dx=1a π=πa

となり(2.2.2)式の公式を得る。
 次に、(2.2.2)式の両辺がaの関数であることを利用して、それらを aで微分する。左辺の微分は

<2-8> d da-∞e -ax2dx= -∞d(e-ax2 )dadx =--∞x2e -ax2dx

である。一方、(2.2.2)式右辺のaに関する微分係数は

<2-9>  ddaπa =πd(a-1/2) da=-π a-3/22

であるから、それらを等値して共通する負符号を除くと

<2-10> -∞x2 e-ax2dx= π2a-3/2

を得る。この両辺をもう一度aで微分して、共通する負符号を除くと

<2-11>  -∞x4e-a x2dx=π 2·32a-5/2 =1·3π 22a-5/2

となり、さらにこの両辺をaで微分し、共通する負符号を除くと

<2-12>  -∞x6e-a x2dx=π 2·32·52 a-7/2 =1·3·5π 23a-7/2

を得る。これを続けると最終的に

<2-13> -∞x 2ne-ax2dx= 1·3·5(2n-1) π2na-(2n+ 1)/2(n=0, 1,2,)

を得ることができる。この式でaは何でもよいので、 a=1とすると重要な積分公式

<2-14> (2.2.3) -∞ x2ne-x2dx= 1·3·5·(2n-1) π2nn =0,1,2,

が得られる。さらに、左辺の積分される関数<2-15>(x 2ne-x2f( x))が<2-16>(f( -x)=f(x))の性質を持つ「偶関数」であることから、xが負の値になる領域の積分と xが正の値になる領域の積分は等しく、

<2-17>  -∞x2ne-x2 dx=-∞0x2n e-x2dx+ 0x2ne-x2 dx=2 0x2ne-x2 dx

であるから[2]、(2.2.3)式を

<2-18> (2.2.4) 0x 2ne-x2dx= 1·3·5·(2n-1) π2n+1( n=0,1,2,)

と書くこともできる。左辺のxの冪は偶数であるが、それが奇数になると(2.2.3)式や(2.2.4)式の積分の結果が全く異なる。すなわち、aを同じように xと関係ない正の数とすると、関数 <2-19>(xe-ax 2g(x))は <2-20>(g(-x)=- g(x))の性質を持つ「奇関数」であるから、 xが負の値を取る領域の積分と xが正の値を取る領域の積分は、大きさが等しく符号が反対なので

<2-21> -∞xe -ax2dx=0

である。この式の両辺を(2.2.3)式を得たと同じようにaで次々と微分することによって

<2-22> (2.2.5) -∞x 2n+1e-x2 dx=0(n=0,1,2 ,)

を得る。ここで気をつけないといけないことは積分の範囲である。もし積分範囲がxが正の値を取る領域(0x) だけにあるときにはその積分の結果は0ではない。その値を得るために積分 <2-23>(0x e-ax2dx)を利用する。この積分で<2-24>(x=ya )として変数をxから yに変えると、<2-25> (dx=12aydy) であり、(0x )に対応するyの範囲は xと同じ(0 y)であるから、積分は

<2-26>  0xe-ax2 dx=0ya e-y12ay dy=12a 0e-ydy

となる。<2-27>(0 e-ydy=1)であるから、したがって

<2-28> 0xe -ax2dx=12a

を得る。(2.2.3)式を得たときと同じように、この式の両辺をaで一度微分して、両辺で共通の負符号を除くと

<2-29> 0x3 e-ax2dx= 12a2

を得、同様な手続きをn回続けると

<2-30> 0x 2n+1e-ax2 dx=n!2an+ 1

を得る。ここでaが任意なので、 a=1とすると

<2-31> (2.2.6) 0x 2n+1e-x2 dx=n!2(n =0,1,2,)

となる。以上、(2.2.3)式、(2.2.4)式、(2.2.5)式、(2.2.6)式で積分公式の準備は全てできた。それらをまとめておく:

<2-32>  -x2ne -x2dx=1·3· 5···(2n-1)π2n (2.2.3) 0x2ne-x 2dx=1·3·5··· (2n-1)π2n+ 1(2.2.4) -x2n+1 e-x2dx=0 (2.2.5)0 x2n+1e-x2 dx=n!2 (2.2.6)(n =0,1,2,)

 もし気体が希薄であれば分子間の距離は十分に離れており、それぞれの分子は力を及ぼし合わず自由に運動していると考えてもよい。言い換えると、気体中の分子は運動エネルギーだけを持って運動している。マクスウェルはそのような気体が温度 Tで熱力学的平衡状態にあるときに、気体中の一つの分子が速度 v=(vx,vy ,vz)を持つ確率を与えた。ただし、測定の精度を考えると、ある範囲にある分子の速度はすべて同じ値として測られることを考慮に入れなければならない。いまの場合は速度が vx,vy ,vz)( vx+dvx,vy+ dvy,vz+dvz )の間にある分子はすべて速度v を持つとする。その間隔の積を短く<2-33>(d vxdvydvz )と書くことにする。マックスウェルは、希薄気体の分子のなかで力を及ぼしあわずに速度vを持って運動する分子の割合

<2-34> (2.2.7) P( vx,vy,vz) =m2πkT3/2 e-E/(kT) =m2πkT 3/2exp- mvx22kT exp-mv y22kTexp -mvz2 2kT

であることを導いた。ここで

<2-35> (2.2.8) E=m2( vx2+vy2+ vz2)

は分子の運動エネルギーである。mは分子の質量であり、 kは(3.2.12)式で与えたボルツマン定数である。マックスウェルの分布則は、気体中で分子の多くは小さな運動エネルギーを持ち、運動エネルギーが大きくなるにしたがって分子の数が急速に減少することを示している。これが正しいことは、すぐ示すように、(2.2.7)式が理想気体の状態方程式を正確に導くからである。(2.2.7)式右辺の指数関数の前にある係数 (m2πkT) 3/2は、P( vx,vy,vz) を分子の速度成分が持つ範囲

<2-36> - vx- vy- vz

で全て加えると1となり、 P(vx,vy ,vz)に確率の意味を持たせるように決められている[3]。すなわち(2.2.7)式は

<2-37> P(vx, vy,vz)=1

を満足する。P(v x,vy,vz) 1個の分子の速度が (vx,vy ,vz)( vx+dvx,vy +dvy,vz+d vz)の間にある確率を与えているが、もし(2.2.7)式右辺の係数を P(vx ,vy,vz)の和が気体中の分子の総数Nであるように決めると[4]、 P(vx ,vy,vz)は気体中でその速度が(vx,v y,vz) (vx+dvx,vy +dvy,vz+d vz)の間にある分子の数を与えることになる。ここでは、前者、すなわち

・ P(vx ,vy,vz) 1個の分子が速度 (vx,vy,vz )を持つ確率を与える

とする。
 「熱力学」で粒子の力学的な振る舞いから理想気体の状態方程式を導く際に、

温度Tの気体を構成する分子1個の運動エネルギーが平均で
<2-38>(K=3kT2 )であることが「統計力学」で証明される

として状態方程式を導いた。理想気体は希薄な気体、すなわち分子同士が力を及ぼし合わずに運動する気体の特別な場合であるから、その構成分子に対してマックスウェルの速度分布則を適用することができる。ここではマックスウェルの速度分布則が上の関係を正しく与え、その結果、理想気体の状態方程式が導かれることを確かめる。

 気体中の分子の運動に特定の方向はないはずであるから、1個の分子の運動エネルギー<2-39>(K=m2 (vx2+vy2 +vz2))中の <2-40>(vx2, vy2,vz2)の平均は等しいから、Kの平均はどれか1 つの平均を計算して、それを3倍すればよい。その 1つを( m2vx2)とすれば、分子が速度 vxを持つ確率(2.2.7)式を使って平均値を計算すると

<2-41> (2.2.9) K =P(vx,vy, vz)mvx22 =3( m2πkT)3/2(- mvx22 e-(mvx2/2 )/kTdvx) ×(-e -(mvy2/2)/kT dvy) ×(- e-(mvz2/2) /kTdvz)

であるから、変数を(vx, vy,vz)から

<2-42> (2.2.10)  vx=(2kTm)1/2 pvy=( 2kTm)1/2q vz=(2kTm)1/2 r

によって結ばれる(p,q,r) に置き換えると、

<2-43> (2.2.11)  p=(m2kT)1/2v xq=(m2kT )1/2vyr =(m2kT)1/2vz

であり、(vx,v y,vz)の範囲がいずれも (-)であるから(p,q,r)の範囲も(-)となるので、K

<2-44> (2.2.12) K =3(m2πkT)3/2× (2kTm)1/2[ -∞(m2·2kTm p2)e-p2 dp]× (2kTm)1/2[ -∞e-q2dq ]×(2kTm)1/2 [-∞e-r2 dr] =3(kTπ3/2)[ -∞p2e- p2dp]×[ -∞e-q2dq ]×[-∞e -r2dr]

を計算することになる。(2.2.3)式を使うと<2-45>( -∞p2e-p2 dp=π2)、 <2-46>(-∞ e-q2dq=-∞ e-r2dr= π)であるから、したがって

<2-47> (2.2.13)  K=3(kTπ3/2 )×(π2) ×(π)2 =3kT2

となり、望む関係が得られた。

 次に(2.2.7)式を使った平均値の計算の練習として、粒子の速度と速さの平均値を計算する。「力学」で学んだように、物理学では運動する物体の「速さ」と「速度」を明確に区別する。「速さ」は、物体の運動の方向に関係なく、物体が単位時間に移動する距離の大きさを表わし、「速度」は物体の速さと同時に運動する方向も表わす。大きさだけを表わす前者の物理量をスカラー量というのに対して、運動の方向を合わせ持つ後者の物理量をベクトル量と呼んだ。すなわち、「速さ」はスカラー量、「速度」はベクトル量であり、その平均値も異なる。

  1. 【速度の平均値】 最初に、マックスウェルの分布則で速度分布が与えられる粒子の「速度」の平均値を求める。速度はベクトル量であるから、それを表わすためには、三つの単位ベクトルが必要である。そこで、(x, y,z)方向の単位ベクトルを( i,j,k) とし、分子一個が持つ速度の成分を(vx ,vy,vz)とすると、速度は <2-48>(v=i vx+jvy +kvz)と書けるから、その平均は

    <2-49> (2.2.14)  v=i( m2πkT)3/2[- vxe-(m vx2/2)/kTdv x] ×[-e -(mvy2/2)/kT dvy]×[ -e-(mvz 2/2)/kTdvz ] +j(m2πkT) 3/2[-e -(mvx2/2)/ kTdvx] ×[- vye-(mv y2/2)/kTdvy ]×[- e-(mvz2/2) /kTdvz] +k(m2πkT) 3/2[-e -(mvx2/2)/ kTdvx] ×[- e-(mvy2 /2)/kTdvy ]×[- vze-(mvz2 /2)/kTdvz]

    で与えられる。しかるに、第一項目のvxに関する積分、第一項目のvyに関する積分、第三項目の vzに関する積分はそれぞれの奇関数であるから 0となり、したがって

    <2-50> (2.2.15) v =0

    である。

  2. 【速さの平均値】
  3.  この気体中で一個の分子が持つ速さvvの大きさ、すなわち <2-51>(v=vx2 +vy2+vz2 )である。したがってその平均を求めるためには

    <2-52> (2.2.16) v =(m2πkT)3/2 -e-(mv x2/2)/kTdvx -e-( mvy2/2)/kT dvy× -∞vx2+v y2+vz2 e-(mvz2/2) /kTdvz

    を計算しなければならない。この計算はかなり面倒である。なぜなら、最後のv zに関する定積分を実行した結果はvx vyの複雑な関数となるので、それを次に vyで積分し、そこから現われるさらに複雑になった vxの関数を最後に vxで積分しなければならない。これを最後まで間違えずに実行するのは相当大変である。
     そこで、「物理数学」の「体積分」で学んだうまい方法を使うことにする。それは( x,y,z)の直交座標を

    <2-53> x=rsinθcosϕy =rsinθsinϕz=rcos θ

    にしたがって球座標(r,θ,ϕ) に変換して積分した方法のまねをすることである。ここでは(x ,y,z)(v x,vy,vz)であると考え、 rvであると考えて、

    <2-54> (2.2.17)  vx=vsinθcosϕ vy=vsinθsinϕ vz=vcosθ

    によって(vx,vy ,vz)(v ,θ,ϕ)に変換する。そうすると、「物理数学」§4.「体積分(7.4.6)式」で変換後に現われた積分は、今の場合は

    <2-55> (2.2.18) v =(m2πkT)3/2 0v2dvπ sinθdθ0v e-(mv2/2)/ kT=( m2πkT)3/20 v3e-(mv2/2 )/kTdvπsinθ dθ0 =(m2πkT)3/2 0v3e -(mv2/2)/kT dv=8kTπm

    となる。
     先に運動エネルギー<2-56>(K=m2 (vx2+vy2 +vz2)=m2 v2)の平均値K 3kT2であることを知ったので、これから <2-57>(v2= 3kTm)であることがわかる。これが<2-58> (v2=8kTπm 2.55kTm)と一致しないことは多数の粒子が集まって出来ている物理系の特徴の一つとして知っておかなければならない。それらの差の平方根、すなわち<2-59>( v2-v2) は「二乗平均平方根」とよばれ、多数の粒子を含む物理系を特徴づけるもっとも重要な量である。


§3. 多数の粒子を含む物理系

 繰り返し述べたように、我々が考える物理系はきわめて多数の小物体から出来ている。物理系が我々の回りにある気体の場合には、その物体は分子や原子であったり、時には素粒子であったりもする。「宇宙物理学」で考える物理系の場合に物体は星のようにとても大きな物体であったりもする。いずれの場合でも、物理系を構成する物体間の距離が一つの物体の大きさに比べてとても小さいか、あるいは考えている時間内に物体内部に変化が生じない場合には、それらの小物体を“粒子”と考えることができる。そのことを理解した上で、今後は物理系を構成する物体を単に粒子と書くことにする。
 物質が持つ物理量は物質内部で個々の粒子が持つ物理量の総和として与えられる。しかし粒子の数がきわめて多い場合には、粒子の物理量を全て加えて物質が持つ物理量を求めることは事実上不可能である。そのため、物質を全体として理解しようとする「熱力学」が作られたのである。しかしながら、物質を構成する粒子の物理量と「熱力学」がどのように関係しているかを知ることは、依然として意味のある問題である。もしそれが理解できれば、すでに知っている粒子の力学を利用して物質を構成する粒子の運動を制御し、結果的に物質が持つ物理量を自在に制御できる可能性があるからである。以下では多数の粒子からなる物質として、我々の身の周りにある気体を想定する。もちろん物質は液体や固体であっても良いが、その場合には扱いが少し複雑になる。
 さらに、ここで考えている気体はそれを取り巻く“大きな器”のなかにある。我々は“器”の温度を制御し、それを簡単に変えたり一定に保ったりすることができるとする。熱力学第一法則が意味するように、もし“器”の温度を気体より高くすれば、気体は“器”から熱を得て全エネルギーを増やすことができる。もし“器”の温度を気体より低くすれば、気体は“器”に熱を放出して全エネルギーを減らすことができる。“大きな器”は気体と熱のやり取りを行ったとしても、それ自体の温度変化は無視できるくらい考えている気体よりはるかに大きいとする。気体を包むこのような“大きな器”を物理学では「熱浴」と呼ぶ。熱浴の例として、コーヒーカップに入れたコーヒーが置かれたテーブルのある部屋全体を考えるとよい。熱いコーヒーをコーヒーカップにいれテーブルの上にしばらく置いておくと、コーヒーは冷め、ついには温度が部屋の気温まで下がる。代わりにアイスコーヒーをグラスにいれテーブルの上にしばらく置いておくと、アイスコーヒーは温まり、ついには温度が部屋の気温まで高くなる。しかしいずれの場合でもコーヒーの温度変化によって部屋の気温が変わることはないと考えてよい。このとき、コーヒーが熱力学で考えている物理系であり、部屋が熱浴の役割を果たしている。我々が以下で考える気体は、このように一定温度に保たれた熱浴のなかにあって、熱浴と同じ温度になった気体である。
 述べたように、身の周りにある気体が持つ物理量を知るために、気体構成粒子の物理量を加え、それを求めることは非現実的である。たとえば気体が我々が暮らす地表付近の地球大気であれば、その1[cm] 3中には1021個以上の分子が存在し、それだけの分子について物理量を加え合わせることがどれだけ非現実的か容易にわかるであろう。
 このように、「力学」の知識を使って多数の粒子を含む気体の物理量を計算することは現実的ではないし、また実行しようと思ってもできない。一方で、粒子が多数になればなるほど粒子の個別性が薄まり、物理系の性質は粒子個々の運動状態に影響されなくなる。この特性を利用するのが「統計力学」の基本的な考え方である。気体に含まれる粒子数がN個で変わらないことを前提にして、以下で「統計力学」の基本的な考え方を説明しよう。もし何らかの理由で気体粒子の数が増えたり減ったりする場合には扱いが少し複雑になり、この入門書の枠を超えるので、ここでは考えないことにする。
 すなわち、これから考える気体は、

  1. 温度Tの熱浴に囲まれた環境のなかにあって温度 Tを持ち、

  2. 粒子数がN個に保たれた
気体である。気体が持つ力学的な物理量は気体を構成する粒子の力学的物理量数個の粒子が一緒になって持つ力学的物理量を加えたものであり、粒子が持つそれらの力学的物理量は粒子の運動状態(位置と速度)を与えると定まる。したがって、気体が持つ力学的な物理量を理解するためには、気体の構成粒子が気体中でどのよう運動状態にあるかを知れば良い。
 粒子の運動を決める力学をもとに「熱力学」を理解しようとする努力を通して、平衡状態にある気体中の粒子は相反する二つの側面からその運動状態を決めていることが分かった。一つは「気体が全体として持ちやすい力学的エネルギー」を決める決め方であり、一つは「気体がある力学的エネルギーを持つ時に、構成粒子がそれをどのように分かち合うか」を決める決め方である。すなわち
  1.  第一は「気体が全体としてどのような力学的エネルギーを持つか」を決める決め方である。「熱力学」では「気体が全体として持つ力学的エネルギー」を「内部エネルギー」と呼び、「熱力学の第一法則」でそれをUと書いたことを思い出しておこう。
     少数の粒子から成る物理系が力学的エネルギーを常に最小値に保って存在するのとは違って、気体のように非常に多数の粒子を含む物理系は短い時間で力学的エネルギーEの値を 0からまでの様々な値に変えながら存在する。その特徴は粒子の数が多くなるにしたがって顕著になる。身の周りにある気体はその特徴が明確に現れるほど十分に多数の粒子を含んでいる。そのような物理系の中では、あるEの値を持つ状態が持続する時間は Eに反比例する。すなわち、気体の力学的エネルギーが Eである状態はEが小さければ小さいほど長く持続し、Eが大きくなるにしたがって短くなる。その意味で、 温度Tで熱力学的平衡にある気体の構成粒子は気体に小さなEを与える運動状態にある確率が大きく、 Eが大きくなるにしたがって粒子がそれを与える運動状態にある確率は小さくなると言える。

  2.  第二は「気体がある力学的エネルギーEを持つ時に、構成粒子がそれを分かち合うやり方」を決める決め方である。Eを持つ気体の粒子(分子)はそれを互いに分かち合って運動している。分かち合い方は気体の状況とEの値によって大きく異なる。マックスウェルが考えたような希薄な気体の場合には、個々の構成粒子でEを分かち合うことができる。気体が希薄でなくなるにしたがって、個々の粒子が別々にEを担うことが難しくなってくる。ここでは希薄な気体の場合を想定し、希薄でない場合は後で考えることにする。
     たとえば希薄な気体が最も小さなエネルギーEを持っている場合、構成粒子個々がそれを分かち合うためには、全ての粒子が最も小さなエネルギーを持つ一通りのやり方以外に Eを分担する方法はない。反対にEが無限大と考えてよいほどの大きな値ならば、どれか一個の粒子がEを持つ極端な場合もあれば、非常に多くの粒子で少しずつエネルギーを分担してその和がEとなる場合もあり、多くの様々なやり方で粒子は Eを分担することができる。構成粒子が Eを分担するこのやり方の総数を統計力学では「微視的状態の数」または簡単に「状態数」と呼ぶ。すなわち、気体が最も小さな力学的エネルギーを持つ場合の状態数は 1で、気体が最も大きな力学的エネルギーを持つ場合の状態数はとても大きくなる。つまり、状態数は Eの増加とともに増加する。もし粒子のどのような運動状態も分け隔てなく全て同じように起こると考えれば[5]、エネルギーを分担するやり方(状態数)が多いほど気体はそのような Eを持ちやすいと考えることができる。したがって「状態数」の観点から、「任意の Eを持った気体の構成粒子が持ち得る運動状態のなかで実現確率がもっとも大きな状態は Eを分担する状態数を最大にする運動状態である」と言える。さらに、その最大状態数はEの値が大きければ大きいほど大きくなる。
まとめると、温度Tで熱力学的平衡にある気体は構成粒子が持つ力学的エネルギーの総和として力学的エネルギーを有するが、力学的エネルギーEは広い範囲にひろがっており、
  1. ① 気体が特定の力学的エネルギーEを持つ確率は、 Eが小さいほど大きく、E が大きくなるにしたがって小さくなる。
  2. ② 気体が特定の力学的エネルギーEを持つ確率は、 Eを分担する粒子の状態数に比例する。
    ③ あるEを分担する状態数のなかで最も大きな状態数を与える粒子の運動状態が最も大きな確率で実現し、その状態数はEが大きくなればなるほど大きくなる。
このように、気体の力学的エネルギーEは確率的に決定され、気体構成粒子は状態数を最大にするようにそのエネルギーをそれぞれが分担したエネルギーの下で、ニュートンの運動法則にしたがって運動している。気体の力学的エネルギーを決定に対する上の結論①と③は相反する方向に働くことを注意しておく。
 気体が持つ物理量の多くは構成粒子が持つ物理量の総和である。構成粒子が持つ物理量は粒子の運動状態(位置と速度)を与えると決まる。粒子の運動状態はその力学的エネルギーが与えられればニュートンの運動法則によって定まる。気体中での粒子の力学的エネルギーは上に与えた三つのルールにしたがって定まる。逆に、構成粒子の力学的エネルギーが定まればニュートンの運動法則にしたがって粒子の運動状態が定まり、それから各粒子の物理量が決まり、それを足し上げると気体が持つ物理量が与えられることになる。このようにして、粒子の運動を説明する「力学」と気体の観測をもとに作り上げられた「熱力学」が結びつけられる。もう少し具体的にそのことを示そう。粒子の数が多数であるために記法が非常に多数で記法が煩雑になるため、まず粒子の運動状態を定める座標と速度の記法を与えておく。
 N個の粒子の座標を表すベクトルを普通は r1 ,r2,,r Nのように書く。しかしN がとても大きな数であれば、そのベクトルをいつもこのように全て書き表わすことは表記を非常に煩雑にする。そこでこれからは r1 ,r2,,r Nを簡単に rと書くことにする。中カッコ(波カッコ) はその内部にある量が N個の量であり、もしそれがベクトルなら計 3N個の成分を持つ量であることを表わしている。同様に、 N個の粒子の速度ベクトル v1, v2,,v N vと書くことにする。
 まず、上で得た結論の①「気体が特定の力学的エネルギーEを持つ確率は、 Eが小さいほど大きく、 Eが大きくなるにしたがって小さくなる。」から考える。これを具体的に表す手がかりはマックスウェルの速度分布則(§2)にある。マックスウェルは温度Tの希薄気体で一個の分子の速度がどのような確率で分布をするかを示した。そこでは一個の分子がvv+dv の間の速度を持つときはその速度をすべてv と考えて、温度Tで熱力学的平衡状態にある気体の一個の分子が速度 vを持つ確率を

<2-60> (2.3.1) P(v ;T) dv=m2πkT 3/2e-βε(v) dv

であるとした。ここで

<2-61> (2.3.2) β=1kT

であり、kはボルツマン定数である。また右辺の指数関数に現れる

<2-62> (2.3.3) ε(v) =m2v2=m 2vx2+m2v y2+m2vz2

は気体分子一個の運動エネルギーであり、(2.3.1)式右辺で(d v=dvxdvydv z)である。希薄気体で分子は運動エネルギーしか持たないと考えて良いから、 εは一個の分子が持つ力学的エネルギーの全てでもある。また、(2.3.1)式右辺にある係数m2πkT 3/2は左辺のP(v ;T)dvが確率であることを示す条件

<2-63> (2.3.4) P(v ;T)dv=1

を満足するよう決められたものである。
 そこでマックスウェルの速度分布則のまねをして、温度Tで熱力学的平衡状態の気体の中にあるN個の粒子の集団が速度 v1,v 2,,vN vを持つ確率を

<2-64> (2.3.5) P({v };T)dv1d v2dvN e-βE({v}) dv1dv 2dvN

とする。ここで、右辺の指数関数にある

<2-65> (2.3.6) E({v })=m2v1 2+v22++v N2

N個の粒子の運動エネルギーで、(2.3.2)式にある一個の分子の運動エネルギー εの置き換えである。(2.3.5)式の推論は、温度 Tで熱力学的平衡にある気体に対し要求した①の「気体が特定の力学的エネルギー Eを持つ確率は、 E が小さいほど大きく、Eが大きくなるにしたがって小さくなる。」と矛盾していない。それでは、この確率に対し要求される、もう二つの条件「② 気体が特定の力学的エネルギー Eを持つ確率は、E を分担する粒子の状態数に比例する。」と「③ その中でも最も大きな確率を与える状態数(すなわち最も実現可能な力学的エネルギーを定める状態数)はEが大きくなればなるほど大きくなる。」を(2.3.5)式にどのように反映させればよいのであろうか。
 状態数の考え方は、「熱力学」と「力学」に基づいて作り上げられた「統計力学」が観測事実と一致するように導入された。そして、そのように作り上げられた「統計力学」の予言が新たに知られた観測事実と矛盾しないことで、導入の正しさが立証された。状態数を導入する時に用いられたいくつかの仮定の意味と正しさを理解するためには「量子統計力学」を学ばなけばならない。しかしながら、「量子統計力学」の学習はここでの「統計力学」学習の範囲を超えるので、ここでは、粒子の運動状態を与える確率すなわち②と③の条件を満たす状態数が分かったものとして、それを W[E]としておく。すなわち、②から W[E]Eを持つ気体の構成粒子がそれを分担する仕方の最大数であり、③からそれは Eの増加関数である。
 条件①を満たす(2.3.5)式の右辺は気体粒子が速度 vを持つ確率を与えるが、条件②と③を満足する確率 W[E]は(2.3.5)式の右辺の確率をさらに制限する。よって条件①、②、③を満足する確率は最終的に

<2-66> (2.3.7) P({v };T)dv1d v2dvN =CW[E({v} )]e-βE({v} )dv1dv 2dvN

となる。ここで右辺にあるCは(2.3.1)式右辺の m2πkT 3/2に対応する係数であり、P({ v};T)dv1d v2dv Nに確率の意味を持たせる条件

<2-67> (2.3.8) P({v };T)dv1d v2dv N=1

を満足させるためにつけた定係数である。
 これで、②と③の条件を備え、①の条件をマックスウェルの速度分布則を手がかりに取り込んだ、温度 Tの気体が力学的エネルギー Eを持つ確率を作ることができた。しかし、考えている気体が必ずしも希薄であるとは限らない。気体が希薄か希薄でないかは粒子同士が力を及ぼし合うか合わないかによって判断される。しかるに、電気的な力を除けば、粒子の間に働く力はそれらが接近しなければ働かなことが知られている。したがって希薄な気体では粒子が離れて存在するため粒子は力を及ぼし合わずに運動する。そのため粒子が持つ力学的エネルギーは運動エネルギーのみで、その結果、気体の力学的エネルギーは粒子が持つ運動エネルギーの総和になる。これが(2.3.5)式のエネルギーである。気体が希薄でなくなるにしたがって粒子同士の距離は短くなり、力の影響がしだいに大きくなる。
 「力学」で学ぶように、粒子間の力は粒子の力学的エネルギーに粒子の位置で大きさが決まる位置エネルギーをもたらす。このように、気体が希薄でなくなるにしたがって、気体の力学的エネルギーは粒子の位置座標を含み、それが無視できなくなってくる。そのような場合には気体の力学的エネルギーをE({r} ,{v})と書かなければならない。それにともなって、 P({v} ;T)dv1d v2dvN としたN個の粒子が v v +dvの間の速度を持つ確率を、希薄でない場合は、粒子の位置が r r +drの間にあって、速度が v v +dvの間にある確率は

<2-68> (2.3.9) P[{r },{v};T]=CW [E({r},{v })]e-βE({r },{v})

であるとしなければいけない。ここで、dr 1dr2dr Ndv1d v2dvN

<2-69> (2.3.10) dr1 dr2dr Ndv1dv 2dvN

と簡単に書いた。この場合右辺の係数Cは(2.3.8)式を拡張した

<2-70> (2.3.11) VP[ r, v;T]=1

を満足するように決めなければいけない。ここで、Vは気体が存在する空間の体積を表す。
 (2.3.9)式は温度Tで熱力学的平衡にある気体が最も安定に存在する粒子の運動状態を与える確率であるから、気体の力学的エネルギーを分担する粒子の運動状態 r, vは右辺の

<2-71> (2.3.12) WE( {r},{v} )e-βE({r },{v})

を最大にする r,v である。③で述べたように、決まった量E を決まった数の粒子で分担するやり方Wは、 Eが小さければ小さくEが大きくなるにしたがって急速に大きくなる。一方、(2.3.3)式の指数関数は、 Eが小さければ大きく Eが大きくなるにしたがって急速に減少する。したがって、(2.3.3)式の量は 0の間にあるEの値でその最大値を有するはずである。(2.3.3)式を少し違った形で表わすことによって、その意味をさらに明確な形で表すことができる。
 簡単な恒等式

<2-72> (2.3.13) x=elnx

を使い、β=1kT((2.3.2)式)であったことを思い出せば、(2.3.12)式を

<2-73> (2.3.14)  We-βE=elnW e-βE =e-β(E- kTlnW)

と書くことができる。したがって気体が最も安定に存在出来るのは、粒子の運動状態 r, vが右辺指数の E r, v-kTlnW r, vに最小値を与えて指数関数を最大とする場合である。この r, vはニュートンの運動方程式にしたがって時々刻々変化する。熱力学的平衡状態にある気体中の粒子はこれにしたがって位置と速度を変え、その関数である気体の物理量も時々刻々値を変えることになる。しかしながら、熱力学的に平衡な状態にある気体に対して観測される物理量は時間によって変わらないので、それが絶えず値を変えることは観測結果と矛盾する。そこで、熱力学的平衡状態にある気体で観測される物理量は(2.3.9)式の確率を使ったその平均値であると考える。たとえば、運動状態を決める実現確率を与える(2.3.14)式の指数の平均値は次のようになる。
 まず平均値を与えるために使う確率(2.3.9)式が確率であるための条件(2.3.11)式を満足するように右辺に含まれる係数 Cを決めなければならない。それを

<2-74> (2.3.15)  C=1Vexp- β{E({r},{ v})-kTlnW({r },{v})} =1Z(T)

とすれば、(2.3.9)式が(2.3.11)式を満足することが分かる。ここで、最後の式にある

<2-75> (2.3.16) Z(T) Ve-β[E{ r},{v} -kTlnW{r },{v}]

は「分配関数」と呼ばれ、すぐに明らかになるように、統計力学では非常に有用かつ重要な関数である。この Cを持つ確率を使って(2.3.14)式の最後の式にある指数の平均値を計算することができる、その結果は確率が持つβを通じて気体の温度 Tの関数になることに注意しておく。
 たとえば、 (2.3.14)式右辺の指数の中にある力学的エネルギーの平均値を

<2-76> (2.3.17) VE {r},{v} P{r}, {v};TU

と書き、またklnWの平均値を

<2-77> (2.3.18) kVlnW {r},{v }P{r },{v};T S

と書く。第二項目をSとしないで STとしたのにはすぐにわかる理由がある。<2-78> E-kTlnWの平均値は

<2-79> (2.3.19) U-STF(T ,V)

となる。Fが温度T の他にVによることは、積分が Vのなかで行われることからわかるであろう。
 (2.3.9)式の確率に現れるe-f (x)の形をした指数関数はとてもおもしろい性質を持つ。もし f(x)に最小値を与える xが存在し、それを x0とすれば、xx0から少でも離れると f(x)は最小値 f(x0)より大きくなり、 e-f(x) は急速に小さくなる。そのため、もしF( x)e-f(x)dx の形の積分があれば、その値をとてもよい精度でF( x0)と近似することができる。とくに F(x)=f(x)のときには F(x0)=f (x0)となって、結果は指数 f(x)自体の最小値に一致する。このことは、 E-kTlnWを最小にすることによって気体の中で実現する粒子の運動状態を与える(2.3.9)式を使って求めた E-kTlnWの平均値 F(T,V)の関数として最小の値であることを示している。
 (2.3.19)式と本シリーズの「熱力学」にある(3.4.4)式を比べるとわかるように、この右辺の量 Fが「熱力学」で導入された「ヘルムホルツの自由エネルギー」に他ならず、左辺二項目にある Sが多くの熱現象を説明するため「熱力学」で導入された「エントロピー」に他ならないことがわかる。
 (2.3.19)式は少数の粒子を含む物理系と多数の粒子を含む物理系の本質的で重要な違いを教えてくれる。すなわち、

  • 正準方程式にしたがって運動する少数の粒子を含む物理系の安定した状態は力学的エネルギー Uが最も小さい状態であるのに対して、多数の粒子を含む気体が到達する熱力学的に安定した状態は Uが最小である必要は必ずしもない。 Uが多少大きくても、粒子がそれを分担する多様さ Wを表わしたエントロピーを大きくすることで Fが小さくし、気体の安定した状態を実現することができる。
 そのエントロピーについて、「熱力学」で

  • エントロピーは「熱力学」で経験的に導入された物理概念であり、したがってそれを使った熱力学の第二法則も経験則である。気体を構成する粒子の基礎的な力学に基づいたエントロピーに対する解釈は「統計力学」によって与えられる。そこではエントロピーが持つ意味と、熱力学第二法則の意味がさらに基礎的な力学に基づいて理解される。
と述べたが、ここでその統計力学的解釈が与えられた。すなわち、エントロピーS

  • その定義である(2.3.13)式から理解できるように、熱力学的平衡状態にある気体の構成粒子が力学的エネルギーを分かち合うやり方の多さを表わすWと同じように、その対数を積分した Sもまた熱力学的平衡状態で大きくなる。
熱力学的平衡状態にある気体の力学的エネルギーを多数の粒子が分かち持つ方法の多様さを表す WあるいはSは、力学的エネルギーが少ない粒子に集中するより「乱雑」に物理系に行きわたっている状況を表わすと考えられる。その意味で、「エントロピーは系の乱雑さを表わす量」と表現されることがしばしばある。
 これで熱力学で導入され、最も重要な役割を果たすエントロピーや内部エネルギー、及びそれらを含むヘルムホルツの自由エネルギーが持つ力学的意味がはっきりと理解出来たであろう。エントロピーや内部エネルギーから出発して、「熱力学」の「§4.熱力学的関数と色々なエネルギー」で与えたやり方を使ってに様々な熱力学関数を求め、それらを使って気体が持つ種々の物理量と基礎的な力学との関係を理解することがでながら冒頭に述べたように、「統計力学」を物理学の一手段として使うためにはここでの学習だけでは不十分であり、さらに学ぶ必要がある。
 この巻の最後に、分配関数が気体の情報をすべて持っていることを表わす例として分配関数から気体の内部エネルギーが求められることを示し、それで「統計力学」の基礎的な学習を終えることにする。


【分配関数から気体の内部エネルギーを求める】

 (2.3.16)式で与えられる分配関数は温度Tで熱力学的平衡状態にある気体の全ての熱力学的情報を持っている。したがって分配関数を具体的に得ることができれば、気体が持つ多くの物理量をそれから得ることができる。ここでその一つの例を与えることにする。そのためには簡単な微分の公式

<2-80> (2.3.20) deax dx=aeax

が必要である。Z(T)を定義する(2.3.16)の両辺を βを変数とする関数と考えて、微分の公式を使って両辺を βで微分した式

<2-81> (2.3.21) dZ(T) =-VE({ r},{v}) e-βE({r}, {v})

を作り、この両辺をZ(T)で割り算し、(2.3.9)式を使うと

<2-82> (2.3.22) 1 Z(T)dZ(T) =-VE({ r},{v}) e-βE({r} ,{v}) Z(T) =-VE({r} ,{v})P {r},{v} ;T

を得る。(2.3.17)式からこの最後の式はUに他ならない。したがって、分配関数をもとにして気体の内部エネルギーUを与える式

<2-83> (2.3.23)  U=-1Z(T)d Z(T) =-dlnZ(T)

を得る。ここで、最後の式で微分の公式

<2-84> (2.3.24) dlny (x)dx=1ydy dx

を利用した。(2.3.23)式は分配関数から気体の物理量を得る一例であって、今ほかにも分配関数から多くの物理量を得ることができる。もし興味があれば、標準的な「熱統計力学」の『教科書を参照してもらいたい。

[1] 日常的に我々が識別できる最小の大きさは高々0.1 [mm]程度であろう。しかしながら、実はこの大きさは我々の環境を構成する粒子の大きさから考えれば、とても大きいのである。たとえば、この大きさを一辺とする立方体を空気中にとったとすれば、その中には10 兆個以上の様々な分子が存在する。これから判断して、空間的拡がりが0.1[mm]程度以上の系は「巨視的」であり、ここで学ぶ「熱力学」や「統計力学」を使ってその物理的な性質を理解することができる対象と考えてよいであろう。一方、最近よく耳にする「ナノ」という言葉がつく物質のように、その拡がりが (10億分の1 [m])程度の物理系はニュートン力学を背景に作り上げられた「古典物理学」で理解することは事実上無理であり、それを理解するためには二十世紀に入って完成された「量子力学」が必要になる。このように、理解に「量子力学」が必要とされる系は「微視的」であると言える。空間的な拡がりが0.1[mm]より小さく、かつ、 10億分の1 [m]より大きな「巨視的」で「微視的」でもない物理系は、「量子力学」と「古典物理学」の世界が混在した興味深い領域で、そこから新しい自然観が生まれる可能性があり、現在とても精力的に研究が行われている。

[2] <2-85>f (-x)=f(x)の性質を持つ xの任意の偶関数f (x)に対して積分<2-86> I=-f(x )dxを考える。この積分をxが負となる領域と正となる領域に<2-87>I= -0f(x)dx +0f(x)dx のように分解する。右辺一項目の積分で変数xx=-x'によって x'に置き換えると、<2-88> (dx=-dx')であり、 (x=-0)(x'=+0) に対応するから、右辺一項目の積分は<2-89> -0f(x)dx =+∞0f(-x')(- dx')=-+∞0f(x' )dx'となる。xの関数 F(x)に対する任意の定積分に対して <2-90>ab F(x)dx=-baF (x)dxが一般に成り立つので、 <2-91>-- 0f(x)dx=0 +∞f(x')dx'=0 +∞f(x)dxとなる。ここで積分変数には何を使っても同じであるからx'の代わりに xを用いた。これを最初の xが正の値を持つ領域の積分と合わせれば<2-92> -f(x) dx=20f(x) dxを得る。

[3] 実際にこのことは(2.2.7)式のPに対し積分を実行し、
<2-93>  (m2πkT)3/2( -e-(m vx2/2)/kTdv x)×(- e-(mvy2/ 2)/kTdvy) ×(- e-(mvz2 /2)/kTdvz )=1
を示すことによって確かめられる。3個の積分は変数が違うだけで同じ結果を与えるから、上の積分は
<2-94> (m2πkT )3/2(- e-(mvx2 /2)/kTdvx )3=1
と同じである。この左辺の積分で<2-95>[q= (m2kT)1/2vx ]を使って変数をvxから qに換えると、<2-96> dvx=(2kT m)1/2dqであり、かつ (-v x)に対応する qの範囲は(- q)であるから、左辺は
<2-97> 左辺=( m2πkT)3/2[( 2kTm)1/2- e-q2dq] 3
となる。ここで(2.2.1)式を使うと積分はπ= π1/2であるから
<2-98> 左辺=( m)3/2[( 2kTm )1/2π]3= 1
となり、確かに(2.2.7)式のPは確率を与えることがわかる。

[4] 実際にその係数を気体中の分子の総数がNであるようにきめると、それは<2-99>( mN2/32πkT)3/2 となる。

[5] 「粒子に許されるどの運動状態も同じように実現する」は「等重率の原理」と呼ばれ、これに基づいて作られた統計力学が自然を正しく説明することから、「等重率の原理」は物理学におけるいくつかの自然原理の一つと考えられている。